【Hacoa-vol:4/5】停滞は衰退。スピード感の中でスタッフが感じる会社の魅力

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Hacoaは現在全国に14店舗を展開。2021年4月、東京中目黒にオープンした「KNOCKING ON WOOD」には、木製雑貨だけでなく、チョコレートブランド「DRYADES」の厨房と、カフェスペースが併設されている。

DRYADESのシェフであり、スイーツの本場であるパリの味を知る斎藤拓野さんに、Hacoaへの入社の経緯と現在の仕事にかける想いを聞きました。

 

シェフとの出会い

 

ーーパリにおられた斎藤さんとは、いつ頃に出会われたのですか?

市橋
出会いは3年前です。チョコレート事業を立ち上げたいと考えていたときに、知り合いを介して出会いました。7年ほど海外のホテルやレストラン、ピエール・エルメなどで働いていて、ちょうど日本に戻ってくるという話があってアポを取ってもらいました。

彼は自分で店を立ち上げたいという夢がありましたが、美味しいものを作るだけではダメで、日本でのビジネスを知らないと上手く行きません。うちでビジネスを覚えつつ、美味しいものを作ることに集中して独立すれば良いと誘い、やりますと言ってくれた。

ーーちょうど帰国されるタイミングだったんですね。

それまで、彼の実力は知らなくて(笑)。店の厨房が完成するまで、私が住む東京のマンションで、3ヶ月ほどレシピ作りをしてもらっていました。

そのときに初めて彼の作ったものを食べたんですが、めちゃくちゃ感動したんです。世界中を旅して、どの国でもチョコレートを食べて来たけれど、今まで食べたことのないチョコレートで、味がもう全然違った。え、こんな美味しいもの作れるの?と。

斎藤くんが現れるまでは別のプロデューサーとチョコを作っていたんですが、全てを白紙に戻してブランドの方向性を軌道修正。「斎藤シェフが作るチョコです」という形にした。

今はコロナで飲食店は厳しい状況ですが、逆にこの状況を利用して、彼が仕事をしやすい環境を作りました。はじめてチョコレートを食べたときに、彼を信用して一緒にやっていく決意をしたんです。

 

職人としての共感から入社を決意

 

ーー斎藤さんのご自身について聞かせてください。パリで長い期間修行をされていたんですね。

斎藤
福島県出身で今年37歳になります。大学受験に失敗して、人生どうしようかな…と真剣に考えたときに、小さい頃からよくお菓子を作っていたこともあり、20歳のときにパティシエになろうと決意し、東京上野にある「パティシエ イナムラショウゾウ」で5年間働きました。

本場フランスで修行したいと思い、26歳のときに渡仏しました。ピエール・エルメや、星付きレストラン、町場のレストラン、パン屋など、様々なお店で経験を積みました。

その後、ちょうど帰国しようと考えていたときに、市橋さんと出会いました。帰国後の仕事については、別の方からも先に2件話をもらっていたので、最初は乗り気じゃありませんでした。

Hacoaで働こうという決め手になったのは、社長が職人だったことです。パティスリーの世界はなかなか理解されないことも多いのですが、同じ職人として、共感してもらったことが大きかった。

働くと決める前、実際にHacoaのプロダクトを見て、かっこいいなと思いました。「伝統工芸は古臭い」と思っていましたが、全然違った。現代人にも魅力的に映るものに転換したのはさすがだと思いました。

ーー斎藤さんにとって市橋社長はどんな方ですか?

社長は本物志向な方です。チョコレートを作る際、ある程度味を騙せる部分があるのですが、本当に良いものをまっすぐに何も誤魔化さず、本当に価値のあるものを相応の値段で売る。同じ職人として、追求できることを嬉しく思っています。
はじめてお会いしたときに言われた「本物を出してほしい」という言葉が印象的でした。

今でも覚えているのが面接です。履歴書を渡したのですが、社長が見ないで横に置いたんです。会社の説明を受けて、最後に「君、入りなさい」と言われた。何の質問も無かったし、履歴書も見ていないし、すごいなと思いました。普通不安になると思う。

ーーDRYADESではどのようなチョコレートを出しているのですか?

まずは、自分の人生で美味しいと思ったお菓子を出しています。自分が美味しいと思わないものは出せません。

現在東京都内に3店舗あり、お店ごとに客層が全然違うので、メニューについては研究中です。チョコが主力なので、冬がメインになります。季節によってメニューはがらりと変えていきたいと考えています。

厳選した素材で、ストレートに美味しいと思えるような味を追求していきたいです。お菓子というものは誕生日やお祝い事など、常に幸せと共にあるんです。悲しさとは同居しない。食べていただける方々の、日常の幸せの手助けをしていきたいと思っています。

 

様々な部署を経てわかったHacoaの魅力

 

もう一人、福井県美浜町のご出身で、現在鯖江市に住所を移し、Hacoa福井本社に勤務する前田元紀さんに、Hacoaへの入社の経緯と現在の仕事にかける想いを伺いました。

ーー前田さんがHacoaを知ったきっかけを教えてください。

当時、滋賀県にある大学でデザインを学んでいて、3年生で就活を意識していたときに、雑誌に掲載されていたKi-Boardが目に止まりました。そこには福井県鯖江市の会社だと書いてあり、地元福井にこんな会社があるんだと知りました。

インターンをさせてほしいと連絡をして、10日間ほど業務を体験しました。当時の社員は10名程で、福井の本社にショップが出来た頃でした。

いざ就職活動を始めたとき、Hacoaは自分には無理かも…と思い、別の木工会社を受けて内定をいただいたのですが、すぐに辞めてしまい、フラフラしていました。その間もHacoaにはよく行っていて近況報告などしていたのですが、あるとき市橋社長に呼ばれ、フラフラしていないで、うちに来ないかと誘っていただきました。

ーー採用当初は広報と製造どちらも担当されていたんですね。

大学で学んだものづくりがしたいという思いもありましたが、2足のわらじは難しく、途中からは製造以外のことを中心に担当してきました。

事業が拡大するにつれ、他部署の色々なお手伝いをしてきました。ワークショップの企画をしたり、福井のショップで店長をさせてもらったり。

今はWEB事業部で部長をさせていただいています。自社サイトやネットショップの管理や受注・発送業務などの実務的なことを中心に、売り上げをどう上げていくか、SNSの広報等を任せてもらっています。

様々な仕事をする中で、自分は一つのものを極めていくことよりも、つなぎ合わせていくことの方が得意だと感じています。市橋社長にも、そんな自分を見抜かれて、育ててもらっていたのではないかと思います。

ーー前田さんにとって市橋社長はどんな方ですか?

「製造に関して」は、社長は自分の姿を見て学んでほしいというタイプです。思っていることを全ては言わず、感じ取ってほしいと思っておられる、職人気質な方ですね。

逆に、それ以外のことは、一つ一つの仕事について「なぜそうするのか」というのをしっかりと説いてくれるんです。当時は時間の使い方についてルーズなところがあってめちゃくちゃ怒られたこともあり、意識を変えていってもらったと思っています。

ーー市橋社長にもらった印象深い言葉はありますか? 

これも時間の話ですが、「歩数を減らせ」ということです。モノを取りに行き来する際の一歩でも時間を無駄にしているかもしれない。最初の段取りですべてが決まるということと、時間を極限まで圧縮するんだなということを学びました。それを自分で考えてやるんだと。

今までは代表がHacoaをリードしていましたが、事業拡大とともに人数も増え、これからは社内にいる自分たちが考えていかないといけないと思っています。やってみて、動いてから、考えていこうというのが、社長の教えです。

ーー社内の空気感が徐々に変わってきているのですね。前田さんが感じるHacoaの社風とはどんなものですか?

すごいスピードで変わりながら、色んなことをやる会社だなと思います。「停滞すると衰退してしまう」と、市橋社長の背中からスタッフ全員が感じ取っていますね。コロナ禍なのにカフェをはじめたり、Hacoa塾を始めたり。私が入社したときは、まさかチョコを売るなんて思っていなかったです(笑)

いろんな世界を見せてもらって飽きることがないし、これからも楽しいことがたくさんあるんだろうなと思える会社です。10年後には全く違うことをしているんだろうなと。

何かしてもいいんだという余地があるし、新しいことをやっていける器があります。多角的な事業展開に最初はピンとこなくても、徐々に面白さを見出して、社員たちが活躍できる場所ができていくんです。

 

※次回に続きます。

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