畠中昭一 | 後継者を育てることから目を逸らさない。産地の未来を担う職人にかける親方の愛情。

近年、漆工芸を大学や専門学校で学ぶ中、漆に魅了され、漆工芸の仕事がしたいという熱意を持った若者が、河和田を訪ねて来ることが増えてきました。越前漆器の産地である河和田地区は、今までには見られ無かった20〜30代の女性職人が修行されている風景が見られます。

今回取材した畠中昭一(はたけなか・しょういち)さんは、息子さん2人を立派な塗師に育て上げ、現在は次の時代を担う若いお弟子さんへ技術を伝え、後継者の育成に尽力しながら越前漆器の技術的な底上げを担っておられる塗り職人です。

ご家族で営まれる工房で、どのようにお弟子さんを受け入れ育てておられるのか、お話を伺いました。

 

塗師としてコツコツ歩んで来た60年を振り返る。

 

昭和16年生まれ、現在78歳の畠中昭一(はたけなか・しょういち)さんは、漆器の木地づくり職人の家に生まれました。6人兄弟の3番目で、兄弟全員が漆器関係の仕事に就きましたが、なぜか家業である木地の仕事を継いだ兄弟はいなかったのだとか……。

「私が修行を始めた頃の河和田は漆器の最盛期で、黙っていても仕事が入って来て玄関にお椀の木地が山積みになっていました。狭い町でありながら、地域の約80%の人が漆器関係の仕事をしていて、130~140人くらいの塗り職人がいたのではないかと思います。」

「16歳から親方の下で修行を積みながら働いていたのですが、給料が固定で決まっていて不満があったということと、自分でやってみたいという気持ちが出てきたので、24歳で独立を決意しました。その頃は、朝は7時に始まり、夜は22時まで仕事をしていましたね。」

「丸物塗り師として修行を積んで仕事をしてきたので、全体の80%がお椀の塗りの仕事です。ですが、他にも包丁の柄や角物の塗り仕事も入ってきます。近年は注文量が減り、お椀だけだと仕事の量が少ないのであちらこちらの仕事を何でもしないといけないという状況になってきました。」

日々仕事をする工房奥の部屋には、畠中さんが塗られたお椀やお重箱が並ぶギャラリーがあります。漆器というと、赤や黒のお椀を想像する人が多いと思いますが、畠中さんのギャラリーには「古代朱」というつや消しで渋みのある茶色がかった色の漆器が多く、そしてお椀やコーヒーカップなどデザイン性の高い漆器が並んでいます。

「私は”古代朱(こだいしゅ)塗り”という暖かい深みのある色味をもった朱色の塗りを得意としています。漆を作る段階で国産の漆を配合して混ぜることで、このような色合いになります。」

古代朱の色の出し方は親方から教わったものではなく、畠中さんが自ら配合を研究して生み出した色なのだとか。受けた仕事をするだけでなく、新しいものを生み出していこうという畠中さんのスタンスは、今も昔も変わりません。

「近頃は、国産漆の取れる量が非常に少なくなっています。また、国が文化財の修復用に国産漆を確保してしまっているため、我々職人が入手するのは難しく、価格も高騰しています。昔から取引のある私の工房でも、今では一年で1貫ずつしか手に入りません。」

落ち着いたトーンでご自身が丁寧に作った漆器を語る畠中さん。温かな人柄を感じる漆器が並んでいます。

 

産地内の後継者問題と、大切なお弟子さんの未来を考える。

 

畠中さんには3人の息子さんがおられ、長男と三男の息子さんは畠中さんの元で職人として修行を積まれました。長男は現在畠中さんの工房にて塗師として活躍。三男は奥様と修行を積んで独立。現在は河和田地区で工房を構え、夫婦二人三脚で作家として全国各地で個展や展示会を行っておられます。

(三男、中野知昭さんの記事はこちらから)

「近年は漆器業界の景気が悪いこともあり、親が漆器を継いでほしいと言わないのではないかと思います。私が若い頃とは時代が変わり、後継者となる息子たちは家業を継ぐのではなくサラリーマンとして外へ働きに出てしまうというのが現状です。ですが、最近は他県から大学や専門学校で漆工芸を学んだ若い子が入って来ています。家業として子どもたちの仕事を無理に決めてしまうよりも、本当にやりたいという気持ちを持って来てくれる人たちの方がやる気がありますね。」

現在では息子たちも立派な塗師となり、自分自身も年齢を重ねて、職人として一度区切りがついたと話す畠中さん。現在、工房には若いお弟子さんが毎日来られています。

今年で弟子入り3年目となる二平星奈(にひら・せいな)さんは、京都伝統工芸大学校で漆芸を学んだ後、先生の紹介で畠中さんの工房へ弟子入りをしました。福井県の「伝統工芸職人塾」という、3年間の期限付きで伝統工芸士の元に弟子入りができるという制度です。

「絶対に無理ということでもないのですが、正直3年間の修行期間で独立することは厳しいと考えています。職人塾の制度は今年で最後なので、今後については師匠と一緒に考えています。」

「3年間河和田に住んで修行を積んだのに、補助期間が終わるからどこか他のところへ行ってくださいなんて簡単に言えませんし、独立したとしても後に仕事がない状態では、かわいそうです。そこは親方としての責任があります。」

職人は数をこなして一人前になると言われています。近年、漆器の仕事量が減っている中で、塗りの工程や技術を途絶えさせずに伝える難しさと、長い修行が必要な職人の後継者を育ていくという責任の大きさを感じました。

「漆器仕事の教え方は、口で言ってできるものでもないし、外の仕事もあるので手とり足とり教えるということもなかなか出来ません。道具の作り方一つを取っても、漆を塗るヘラの作り方を教えて、あとは自分で試行錯誤して作って行かなければなりません。決まった形があるわけではないので、それぞれのやり方次第です。」

「二平さんは手先が器用な子です。3年目に入った今年からは1年間しっかりと上塗りを教えて、少しでも経験を積んでもらいたいと思っています。3年間が終わった後も、二平さんの独立を目指して、私も一生懸命教えていこうと思っています。」

畠中さんご夫婦から普段は ”せいちゃん” と呼ばれている二平さん。「親方と弟子」という関係は厳しく堅いイメージがありますが、この工房の中では孫のような、家族のような、あたたかい師弟関係を感じました。

 

河和田の漆器を世界へ発信したい。色々な目標を持った弟子たちを育てることが未来を作る。

 

もう一人、2019年の5月から隔週で畠中さんの教えを受けている、中国出身の孫 婕銘(そん・しょうめい)さん。2018年8月に福井市で日本の伝統工芸品を世界に紹介する会社を設立された孫さんは、元々香港で茶器の販売をする会社に勤めていたそうです。仕事では何度も日本に足を運び、越前漆器の産地である河和田はもちろん、焼き物で有名な常滑など日本の様々な産地を訪れていたそうです。

初めて、河和田を訪れたとき「すごく綺麗なまちだった」という印象が強く残っていると話す孫さん。素晴らしい漆器たちを紹介するためには、自分自身も漆に触れることが必要だと考え、畠中さんの工房の門を叩いたのだとか。


(この日は、花器の製作中)

畠中さんが下準備を進め、花器を仕上げておられました。茶道や邦楽(箏)も習っているという孫さん。大切な手先が漆にかぶれないようにと畠中さんが優しく配慮しながら、もくもくと作業を進めていきます。

「越前漆器を継いでほしいというのは私の夢ですね。漆器の仕事をやりたい、覚えたい、という気持ちが嬉しいんです。私が元気なうちは、漆を習いたいという人がいたらみんなに来てほしいですね。」

畠中さんの本業は丸物塗師ですが、お椀に限らず、弟子の作品、学生の作品など、漆に興味をもった人の作品作りに、これまでの経験を生かして柔軟に対応してこられました。積み重ねられてきた越前漆器の塗りの経験と技術は、息子さんたちを含め、つぎの世代へと着々と受け継がれています。

 

【連絡先】
古代匠 畠中 畠中昭一
〒916−1222 福井県鯖江市河和田町12-43-1
TEL 0778-65-1261
FAX 0778-65-3312

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です