溝口雅敏・澤田晴香 | 「作家活動」を軸に。駆け出しはじめた二人の鯖江暮らし。

働くのは良いけど、住むのって大変なんじゃないか……と考えておられる方もおられるのではないでしょうか。
生活環境を変えることはそう簡単ではありません。仕事も暮らしも、すべてが理想通りというのは難しい。いざ住んでみると、その土地の魅力の裏に厳しさが隠れていることもあります。
今回は、実際、鯖江市に移住した人たちは、何をきっかけに移り住み、どのように暮らしているのでしょうか。県外から鯖江に移住した方のストーリーを紹介します。
京都で美術・デザインを学ぶ。
今回お話を伺ったのは、溝口雅敏(みぞぐち・まさと)さんと、澤田晴香(さわだ・はるか)さん。
大阪府出身の溝口さんと長野県出身の澤田さんは、ともに京都芸術大学を卒業後、2018年に鯖江市に移住。河和田地区の一軒家を借りて暮らす二人は、福井市にあるAND FACTORYというシルクスクリーン印刷を行う会社で働きながら、溝口さんは彫金を、澤田さんは絵画を中心に作家活動をされています。
就職を機に河和田へ。徐々に安定していき今のスタイルに。
(溝口)
「鯖江に来たきっかけは、僕が河和田にある谷口眼鏡さんに就職をしたことでした。大学では、美術工芸とデザインを学び、最終的にジュエリーを専攻していて、手を動かす仕事をしたいと思っていました。卒業まで就活にはあまり力を入れていなかったのですが、就職先を探す中で谷口眼鏡さんが眼鏡職人の求人をされているのを見つけて、2018年の9月に入社が決まりました。
福井に何か縁があったわけでもなく、河和田のことも何も知らずに来たので、後からRENEWがあったり、河和田アートキャンプで芸大生が京都から来ているということを知っていきました。」
最初は、会社に勧められたシェアハウスに住んでいた溝口さん。少しずつ河和田のことを知り、人脈も広がって行ったそうです。
(溝口)
「澤田さんとも『絵を描く作家活動を福井でもできるんじゃないか』とか『福井来てみないか?』みたいな話をするようになりました。」
(澤田)
「そのとき、私は大阪の天満橋に住んでいて、パン屋のアルバイトをしたり、名村造船所跡地という施設のスタッフをしながら絵を描いていました。地元長野でブドウ収穫のバイトを見つけて、一か月くらい大阪を離れる期間があり、そのときに福井に来ないかという話が出てきて、RENEWの開催に合わせて福井の様子を見に来ました。
RENEWで初めて福井に来たときは、車が無かったのでバス頼りで回ろうとしていたのですが、何度もバスに乗り過ごして目的地にはほとんど行けなくて。最後にやっと越前和紙の製紙所に行くことができて、すごく丁寧に案内してもらって、そこだけが感動したところでした。谷口眼鏡さんにもたどり着けなかったですし…。
そんな感じだったので、福井でやっていけそうだなという考えは正直無かったです(笑)
大阪のど真ん中に住んでいて、それはそれで楽しくて良かったのですが、北陸に住んだことも無かったですし、地方に住んで作家活動をするのも面白そうだなと思って河和田に来ることにしてみました。」
そこからシェアハウスを出た溝口さんは、澤田さんと河和田にある尾花屋さんのお宅の離れで一か月程の居候期間を経て、空き家を探し、二人で暮らし始めました。
退職を決意。福井での出会いを糧に次の道へ。
(溝口)
「その後、僕は入社して半年ほどで谷口眼鏡を退職しました。眼鏡をすぐに作れるようになっていくと思っていたのですが、眼鏡産業が分業制になっているという事や、工業製品で量産されているということを知らずに来てしまって…。プロダクトの製品が作られていく過程を理解出来ていなかったんです。
日々ライン作業をしていく中で、大学でやってきたように自分でデザインしたものを手を動かして作っていきたいという思いが積もり、退職を決めました。10年続けていたら変わっていたのかも知れないですが、今思えば、当時の僕は焦っていたのかもしれません。」
暮らす家も見つかり、福井の中で色んな人と出会いはじめていた溝口さんと澤田さん。就職がきっかけで始まった河和田での暮らしでしたが、退職しても地元や京都に戻るという選択肢は無かったそうです。
(溝口)
「ものづくりをしている方にたくさん出会っていたことが、福井に残ったひとつの理由だったと思います。個人でされている眼鏡職人さんとも知り合ったり、色々な人にやり方やノウハウを聞きながら、自分たちもやっていけるのではと思いました。
退職したタイミングで家が無かったらまた違う土地へ行っていたかもしれないですが、家もありましたし、地元や都会に行っても良いし、行かなくても良いし、という感じでした。」
作家活動を軸にした生活を目指して。
(澤田)
「福井に来て作家活動を軸にした生活をしたいという思いがあったので、時間を取られないようにバイトで働ける職場を探しました。そんなとき、イベントで知り合った方が退職するから…と、紹介していただいたのが今も勤めているAND FACTORYです。『作家活動をしているので展示などで抜ける事がある』と条件を伝えていたので、展示があるときには優先させていただいたり、普通では考えられないくらい理解をしていただいて、相談ができる環境であることが本当にありがたいと思っています。」
溝口さんも、その後、家財の配送や清掃のアルバイトを経て、澤田さんの紹介でAND FACTORYに合流されました。
(溝口)
「AND FACTORYも製造業で一日2000枚位のTシャツやバックに、シルクスクリーンでプリントをしています。僕はなかなか長く続かないタイプなのですが、案外印刷の作業自体は好きなんです。3年働けているので環境が合っているんだと思います。工場内もずっとハウスミュージックがかかっていたりします。」
(澤田)
「平日は会社に勤めて、休日に制作に打ち込むというのが一週間の流れで、仕事8割、制作2割くらいなのですが、徐々に制作の時間を増やし、最終的には100%作家の活動ができればと思っています。生活するためのお金も大切ですし、今は作家一本でやっていくのは厳しいですが、二人で生活していくためのお金のことも勉強しなければと話しています。」
はじめての個展は福井から。
(澤田)
「大学では、陶芸と現代美術を専攻していたので、絵は全く描いていなかったんです。大学卒業後に奈良で陶芸家に弟子入りをしていた時期があり、そのときに絵を描き始めたので展示もしたことがありませんでした。福井に来て1年位経ったときに福井市のフラットキッチンの藤原さんと出会い、絵を描いていることを話したら、『展示しねや(福井の方言で、展示しなよの意)』と言っていただき、その勢いで初めての個展を開催しました。」
(澤田)
「自分の絵を誰かに見てもらうこと自体が初めてだったので、ドキドキだったのですが、展示をしてから色々な方に声をかけていただくようになりました。福井駅前のセレクトショップgREENさんや、クラブ・バーであるCasaさんを会場に絵画展をしたり、展示がきっかけでDMの作成や空間ディレクションのお仕事をいただくことになったり、どんどん広がっていきました。応援してくださる方がいるのは、とてもありがたい環境です。」
2021年の11月に澤田さんは「ニューフクイ」というふくい産業支援センターが運営する企画に絵画で参加。東京で初めて絵が人の目に触れる機会をいただいたそうです。
(澤田)
「東京の銀座にある「松屋銀座」で何年か連続で開催されている企画なのですが、展示を見たデザインセンターふくいの主任の方に声をかけていただきました。
5組の出展者が他の企業の商品も説明ができるような関係を軸とした企画の催事なので、出展している皆さんの工房へ行ったり商品の説明を聞く機会が設けられていて、ものづくりについて色々と教えていただく時間が本当に面白くて、みなさんをリスペクトしています。
絵を描くときは自分の中にあるものをアウトプットしているのですが、ニューフクイのみなさんに色々と教えていただく時間は絵を描くときとは違うチャンネルで、幅広い視野を得られる貴重な機会でした。
初めてのことで全然知識が無くて、勉強することばかりだったのですが、2年連続で今年も参加させていただくことが決まり、絵画の出展と会場構成も任せていただける予定なので、緊張しますが楽しみにしています。」
様々なジャンルの人と出会いながら付け足していく制作過程
(溝口)
「大学ではジュエリーを専攻していたので彫金をメインに指輪やアクセサリーを制作していましたが、最近は金属のお皿やスプーンなども作っています。
(溝口)
「僕は色々なことに興味を持つタイプで、やった事の無いことを自分の軸に付け足していくような感じのスタイルなんです。
福井には様々なジャンルの方がいますが、大阪や京都と比べるとコミュニティが狭くだいたいみんな繋がっているので、2〜3人を経由すれば出会えるというのがおもしろくて、そんな環境が僕に合っていると思います。最近は、金津創作の森のガラス工房に行き始めて、大阪芸大卒のスタッフさんたちに出会い、休日に通って制作をしています。福井は素材に関しても様々なものがありますし、何かを作っている人に出会う場も多々あります。
平日は仕事で福井市へ行き、休日は自宅でそれぞれの制作に打ち込んでおられる溝口さんと澤田さん。
(澤田)
「職場が福井市で、自宅は市街地から離れているので落ち着いて制作が出来ているなと思います。家に帰ってきたら強制的に切り替えて作品に向き合える感じがありますね。」
(澤田)
「あとは、車が使えるのは良いですよね。福井ではありえないと思うのですが、私たちは同じ職場に勤めているというのもあり、二人で一台の車で生活しています。古い車に乗いるので、お金もかかるし手間もかかるのですが、かわいいし、それが楽しいという所もあます。」
(溝口)
「県外のプロジェクトで、友人と3人で少しずつ手を入れていた場所があるのですが、始めて一年くらいでコロナが流行ってしまって、県外への移動が難しくなりなかなか動けていないのが現状です。関西圏での展示も厳しい状況でしたが、ありがたいことに福井県内での知り合いも増えたし、澤田さんは特に福井での活動が増えて、それぞれ制作を続けられています。もちろんコロナが落ち着いたら、新しい場所へも広げて行きたいなという思いもあります。」
「これからもずっと福井に」とは言えないけれど…。
(溝口)
「正直に言うと、10年後や20年後に福井にいるかはわかりません。でも、こんなことを言いながら、福井ではない『理想の場所』がどういう所なのかと聞かれるとパッとは出てこないんです。なんだかんだで、住みやすいと思うので今の福井の環境と、次に行きたいところがどう違うのかは出てこないんだと思います。」
(澤田)
「福井にきて、仕事と作家のリズムがなんとなくできてきたと感じています。湿気がすごくて服がカビたりして驚いたり、大変なこともあるのですが…。
福井にいながら、いないような気持ちで生きていくのが理想です。自分のライフスタイルを作りたいと思っているので『福井ならではのくらし』というよりは、自分の暮らし方を見定めていきたいですね。もし、福井から出て違う場所に行くことになったとしたとしても、今後一切来ないという感じではなくて、時々帰ってこれる場所になるんじゃないかと思います。」
福井に来て、もうすぐ4年目。職場ではバッグの印刷ラインをしっかりと任されているお二人。フットワーク自体はめちゃくちゃ軽いけれど、暮らす場所の移動に関しては実は腰が重いのかもしれないと話します。溝口さんと澤田さんは、春以降にも県内外でそれぞれの展示が控えており、二人の活動はどんどん広がっていきます。
溝口雅敏
https://www.instagram.com/mizoguchi_jwl/
澤田晴香
https://harukasawada.tumblr.com/