楳原一家 | 大阪から鯖江へ。家族単位で考える、しんどくならない暮らしの形。
いつもは鯖江市にある魅力的な仕事を紹介しているこのwebサイトですが、働くのは良いけど、住むのって大変なんじゃないか……と考えておられる方もいるのではないでしょうか。
生活環境を変えることはそう簡単ではありません。仕事も暮らしも、すべてが理想通りというのは難しい。いざ住んでみると、その土地の魅力の裏に厳しさが隠れていることもあります。
実際に鯖江市に移住した人たちは、何をきっかけに移り住み、どのように暮らしているのでしょうか。それぞれ全く異なる道を辿ってきた、8世帯の方のストーリーを紹介します。
仕事と暮らしはリンクする?都市と地方の違いをどう捉えるか。
今回お話を伺ったのは楳原秀典(うめはら・ひでのり)さん33歳、和香(のどか)さん29歳、乎梅(こうめ)ちゃんのご家族。夫の秀典さんは2012年~河和田に移住。妻の和香さんは、結婚を機に2016年~。第一子の乎梅ちゃんは平成30年12月に河和田で生まれました。
現在住んでおられる鯖江市河和田地区の一軒家は、秀典さんが仲良くされている近所の方からお借りされているそうで、地域にすっかり溶け込んでおられる様子が伝わってきます。
河和田に住み始めたきっかけは、学生時代に河和田アートキャンプに参加したことがきっかけです。
そう語りはじめた楳原さんは、学生時代に参加していただけでなく卒業してからも、毎年のように後輩の顔を見に河和田に訪れていたとか。
そんなご縁もあり、2012年に河和田アートキャンプ事務局として現地で暮らしていました。任期満了のタイミングで地元の大阪に帰ろうかと思っていたんですが、鯖江市環境教育支援センター(エコネットさばえ)から働かないかと声をかけていただき、気になる仕事だったので、そのまま残りました。
河和田に来られる前は建築関係の仕事をされていた秀典さん。現場では大量にごみが出たり、作ったものに対しての愛情が無かったりするらしく、気持ちの良い仕事が出来ず息苦しさを感じていたそうです。
仕事を辞めて次に何をするかを考えていたときに、ローカルにも魅力も感じていたのでアートキャンプの事務局の仕事に就きました。でも当時から交際していた和香には、1年経ったら帰ってくると言っていたので、エコネットの話をいただいたときにどうしようかなと……。仕事内容は面白いし、生活部分でも近くの独居高齢者の家に居候生活していたことの面白さがありました。
(2012年〜2015年の、丸山敏子さんとの同居生活)
生活と仕事のどちらも面白さがあったことが、今ここでの暮らしが続いている理由だと思います。僕の中には明確にやりたいことがあるわけではなく、満たされている状態がここで作れている。もう無理だな……という状況にならなかったことが大きいです。建築の仕事を辞めたときは、気持ちがダメになってしまっていました。きっかけとしては、そんな感じです。
私は結婚がきっかけで河和田に来ました。そのときちょうど、いま私が勤めている漆琳堂のショップオープンの2ヶ月前だったんですが、移住してきた人が河和田にいるらしいという噂が流れて、ちょうどタイミング良く入社しました。普通だったら来る前に就職先を探しますが、ゆっくり探せば良いと考えていたのが逆に良かったのかもしれません。
大阪出身のお二人ですが、環境の違う鯖江市で暮らすことについては、どのように感じておられるのでしょうか。
僕は大阪の枚方市出身でベッドタウンに住んでいました。鯖江は距離的にもそこまで離れているとは思ってなかったので、移住するぞ! というほどの決心で来たわけではなかったですね。自分は次男で、自家も継ぐような商売はしていないし、数々の出会いの中で選択して暮らしを選んでいるといった感覚です。付き合わされる妻の方はたまったもんじゃないと思いますが(苦笑)。
私は大阪市出身なのですが、最初はかなり抵抗してしぶしぶ来ました(笑)。鯖江に来る前は奈良に住んで働いていました。奈良はすぐに大阪に帰れますが、最初はやはり抵抗がありました。段々慣れてきたけど、大阪に帰ると安心感があります。人がたくさんいる喧騒とか。
和香は、都会で大多数の中の一人として生きる方がストレスが少ない人なんです。逆に僕はそういう中にいると、何もしなくても良いという考え方になってしまうから、身の起き方としてローカルの方がちゃんと生きていけるし、人間性が出るという感覚を持っています。
人がいて、注目されないことが安心につながるんです。河和田だと歩いているだけであそこの家の人とか言わたり、車が無かったら「どこか行ってたの?」と言われたりして、見られているなと。田舎にはそういう側面があるということはわかっていましたが、実際に住み始めて、こんなに人と近い距離なのかと最初は感じました。
仕事は仕事、暮らしは暮らし。ではなく、どちらも影響し合うことがローカルの良い面だと話す秀典さん。またその真逆の環境で育った和香さん。仕事のスタイルも、大阪におられたときとは違っているようです。
今は育休中ですが、会社に乎梅ちゃんを連れて遊びに行ったりしています。勤めている漆琳堂は地域のしっかりとした家族経営の会社なんですが、漆琳堂のお母さんが乎梅を『うちの子』と呼んで、家族の一員みたいに可愛がってくれるんです。
世間が狭いので知り合いの子どもと接することも多いし、それが地域での暮らしのベースを作っています。僕たちは周りにしっかり甘えながら生きていこうというスタイルなので、周りの環境を見ながら上手に付き合って相乗効果を出すことが得意だと思っています(笑)。漆琳堂も、仕事という視点で付き合うと、給与面や待遇などしか見えなくなりますが、遠い親戚が近くにいるような視点で付き合うことができているかなと。
僕が勤めるエコネットさばえも運営はNPO法人なので、地域や人のためとか、充足に繋がることがたくさんあるので、生活にもメリットがあります。関わっていた建築の仕事は「ありがとう」が少ない仕事だったので、自分にとってしんどい仕事だったと今になって思います。
この家の大家さんも、乎梅を可愛がってくれるし、乎梅にとってはいっぱいおじいちゃんおばあちゃんがいるような感覚で、上手にローカルを使えているかなと思います。
これから家族でやっていきたいこと。まちの環境に乗っかるのではなく、自分たちで作っていく。
家族を大切にしていきたいから、この3人で何ができるのかということがテーマだと話す秀典さん。もちろんご苦労もたくさんあるのだと思いますが、その苦労さえも楽しんでいく強さを感じます。
エコネットさばえの環境学習の講師で来ていただく手ぬぐい屋さんがいるんですが、その方に来てもらい家族単位のイベントをして、手ぬぐいをもんぺにリメイクしたり、自分たちで『いいな』と思う暮らしを形にしていけるし、それを周りの親しい人たちとやっていけることが楽しいです。その楽しみが環境や生活に繋がっていくので、家族という単位も実感するようになってきましたね。
鯖江市は色々な選択肢があるので、可能性がたくさんあると思っています。人の用意したエンタメに乗っかるのではなくて、自分たちでチャレンジできる毎日のエンタメを作っていけるところに面白さを感じています。
暮らしのこだわりは全然無いので、ちょっと実家に帰るかとか、金沢に行くかとか、そういうスタンスで気を張らずにしなやかに生活するのがちょうど良いと思っています。家族がちゃんと暮らせていて、子どもが育って、というステップのあとに、また次の選択が出てくるかなと。
都市でも地方でも、問題が起こっていて暮らしにも影響が出ているけど、自分としては鯖江での生活の方が他人事にせず、興味を持って課題に付き合っていける感じがしています。
移住者の多い河和田地区ですが、外から来た人と昔から住んでいる人がそれぞれの立場を理解して、傷つかないハイブリッドなまちになっていってほしいと秀典さんは話します。移住してきたからといって気を張るのではなく、それぞれが尊重されながら暮らせる場所。ここは、まだまだ伸び代があるまちだと感じました。
息子と親だと喧嘩するから、孫感覚で地域に入れると良いと思います。息子感覚で入って来た人は喧嘩しているけど、僕は孫感覚で入って来たので、上手にやっていけているのかも。
孫気質の楳原一家が、これから鯖江でどんな暮らしを生み出していくのか。
大げさなドラマは無いかも知れませんが、日々のストーリーが楽しみです。
【鯖江でのお仕事】
秀典さんが働く会社
特定非営利活動法人エコプラザさばえ(webページはこちら)
和香さんが働く会社
株式会社漆琳堂(webページはこちら)