山口誠子 | 世界を旅してたどり着いた鯖江。丁寧に生きられる環境がここにある。
「さばえの仕事図鑑」として、鯖江市にある魅力的な仕事を紹介しているこのwebサイトですが、働くのは良いけど、住むのって大変なんじゃないか……と考えておられる方もいるのではないでしょうか。
生活環境を変えることはそう簡単ではありません。仕事も暮らしも、すべてが理想通りというのは難しい。いざ住んでみると、その土地の魅力の裏に厳しさが隠れていることもあります。
実際に鯖江市に移住した人たちは、何をきっかけに移り住み、どのように暮らしているのでしょうか。それぞれ全く異なる道を辿ってきた方々のストーリーを紹介します。
福井→カナダ→インド。本場のオーガニックを学びに。
今回お話を伺ったのは大地の料理研究家/ホリスティック栄養士の山口誠子(やまぐち・せいこ)さん。福井市のご出身で、鯖江市には3年前に移住してこられ、東端の河和田地区にお住まいです。それまではBARやレストラン経営をされたり、カナダやインド、ネパールなどを旅してこられたりと、多くの経験をされてきました。山口さんの人生ヒストリーを中心に、なぜ鯖江市を選ばれたのかをお話していただきました。
「まだまだ迷いのあった19歳のときに、姉の経営する多国籍カフェバーでもともと好きだった料理を任されたことが転機になりました。お客さんとの会話からワーキングホリデーという制度を知り、すぐ英語を習いはじめて貯金をためて22歳になったときに1年間カナダに行きました。」
もともと山口さんのご実家では、小さい頃から年に1度は遠出の家族旅行に行くのが恒例でしたが、小学生のときに、初めて学校を休んで海外旅行に行った際に「英語をもっと学びたい」「外国に住んでみたい」という漠然とした思いが生まれたたようです。
「念願のカナダではオーガニックな環境に恵まれ、バックパックで田舎の農家を点々とする出稼ぎ生活のときには、農家、トレーラーハウス、キャンプ場、友人宅など、どこにいても料理を楽しみました。国境を越えてアメリカ、メキシコ、最後には出会えた仲間たちとトルコにも旅行したり、バンクーバーにいたときは、オーガニックスーパーで働き、毎日のようにシェアハウスのメンバーに料理をつくって、いつもホームパーティやピクニックしたり、楽しくてやっていました。」
幸せの絶頂!というタイミングでワーキングホリデーの期日となり日本に戻ってきたときに、両親とお姉さんがやっていたお店を引き継がないか?という話があり、家族のためにもやった方が良いと判断。幸い近くに一緒に働きたいと言ってくれる友人がいて、今しかないと23歳でオーガニックカフェ「RICO」のオーナーシェフになったそうです。
「当時、カナダでは地球愛護や予防医学として『オーガニック』が普及していたのですが、日本ではオーガニックという概念が世間に知られていなくて最初の1年は赤字で苦労しました。でもやっているときは夢中でしたし、友人がいてくれたので苦労しているとは思っていませんでした。」
次はインドに行くため、経営するのは3年間だけと初めから決めておられた山口さん。お店が軌道に乗ると、1ヶ月先の予約まで埋まる勢い。週1回の休みは農家に直接行って仕入れをしたりと、365日働き続けておられました。
「友達もたくさん来てくれたし、今でも繫がるご縁もあり、素晴らしい生産者の素材のおかげで料理が楽しくて。本当に好きな仕事だったんですが、ヨガをしないと眠れない程とにかく忙しかったです。でもこの3年間があったから、今は自由に暮らしていけていると思っています。」
山口さんの次の目的地はインド。お店はお姉さんにバトンタッチし、本場のオーガニックを学びに行きます。
世界を巡りながら料理を作る。そして最後にたどり着いたのは日本だった。
「最初は、世界最大級のエコヴィレッジであるインドのオーロヴィルへ行きました。持続可能で平和な社会作りを実験しているこの都市で、ボランティアをしてスパイス料理などを作っていました。そこではまるで私を待っていたかのような出会いがあり、とても良い仕事をさせていただくことができました。」
インド料理に慣れないうちはチンプンカンプンだったという山口さん。1ヶ月ほどで、ほぼマスターしてしまった後は、余裕が出てきて周りを見渡すと、面白いことがたくさんあったのだと話します。
「気になっていた農園レストラン&カフェのオーナーから直接シェフとしてコミュニティに来てほしいと依頼があって、2ヶ月にわたり10カ国程の仲間と一緒に暮らしていました。世界中から毎日30人ぐらいボランティアが来ていて、私は朝の野菜の収穫をしたり、賄いを作ったり、週3日はカフェもやっていました。
無償で働いていたので、いろんなものをいただいたり、旅行にも連れて行ってもらったり、とにかく刺激的だけど平和で楽しい毎日でしたが、毎日出会う旅人たちに話を聞いているうちに『インドでの時間には限りがある。ずっとここにいるのがもったいない』という欲が出てきたころ、次の料理人も現れ、オーロビルで最初にできた友人と一緒に次の場所へ移動し始めました。」
「友人とは最終目的地は違ったけれど、途中までの道のりを共有して楽しく過ごし、その後は直感で訪れたハンピで出会った新しい仲間とゴアへ移動したり、ヨガの聖地リシケシではアシュラムに滞在し、ガンジス川沐浴したり、サドゥーに料理教えてもらったり。その流れでブッダのお墓参りをして、ネパール人に似ていると言われていたことと、ヒマラヤのトレッキングに興味があったことから、インドから国境越えしてネパールに入国しました。」
フットワークの軽い山口さんはその後、インドで出会った友人とネパールの休養地ポカラで再会し、お互い興味のあったヒマラヤ入山許可を取得されます。雪山のベースキャンプまでの道のりをトレッキングして、場所を選んで自炊したりもして、自然の圧倒的な美しさ、壮大さ、神々しさを共有し感動されたそうです。
「でも、友人のペースが早かったので、山の上でのゆったりとした時間を作れなかったのが残念で……。一度身体を休ませるために休養地に戻ったんですが、ネパールに来てから惹かれた聖地巡礼と、山の上に住む人たちの暮らしに触れたくて、今度はひとりでマイペースな聖地巡礼として山に向かいました。自給自足の貧しいけど豊かな生活に触れたり、地図から外れた道にわざと入ったり、民家にわざわざ泊めてもらったりしながら料理を教えてもらったり、旅をしている最中は、まるで用意されているかのような出会いと今を生きている幸せと感謝をたくさん感じていましたね。」
「お店を始めてからずっとベジタリアン志向でしたが、その頃にはチキンを捌くようになりました。寒い地域だと野菜が育たないので、肉やミルクなど動物性のものと乾物しかなくなります。自然界から与えられたものはありがたくいただく。環境が変わったことで目の前のチキンを自分が欲したことには、驚きました。」
他にも、インドに行って「NOと言える人」になれたと話す山口さん。言えずにストレスを抱えるよりも、ハッキリ言えることで良い関係になれることを実感されたそうです。
「いつ死ぬかわからないし、我慢して死ぬのは嫌ですよね。私は畑でぽっくりか、お茶を飲みながら気持ちよく成仏したいと思っています。」
旅の中で少しずつ自身の変化を重ねる山口さん。日本で農業をやりたいと思い、日本へ帰国する決意を固めていきました。
農業とカフェ経営をやりきった末に鯖江に移住。新婚生活をスタート。
「日本に帰ったらまず『ねこの手クラブ』という農家支援組織に所属し、夜な夜なホリスティック栄養学の勉強をしながら、坂井市の三国町にある農家でアルバイトをしていました。この頃には 現在の個人事業である『ガイアキッチン』もスタートしていて、インドで学んだスパイス料理教室を開催してほしいという話もありました。」
福井県のあわらや三国といった地域は農産物が豊富で、県内でも生産量が高いと話す山口さん。それでも、多くの農家が普通に農薬を使用している現状が我慢できず、自分で無農薬栽培をしてみようと思い立ちます。
「無農薬栽培で畑をしたいと言っても、なかなか誰も畑を貸してくれませんでした。そこでお店をやっていたときの知り合いが三国に畑を持っていることを思い出して聞いてみると、使っていないしお金はいらないからやってみろと言われ、今回もまたご縁に助けられました。」
無農薬の小麦を作っているとき、小麦なんて絶対にうまくいかないと周りからは言われていました。実は無農薬でも美味しく育てる秘訣があって、若葉のときにたくさん踏んであげることなんです。でも、最初の1ヶ月程は踏みましたが、後はとりあえず小麦と大地の生命力に任せるインド直伝のほったらかし農法で、次は呼ばれるように沖縄に飛びました。」
沖縄では得意の料理を活かし、沖縄伝統料理も学び、ご縁の流れのまま、今までに経験してきた全てを料理にぶつけて地元の方に喜んでもらい、自分の役割は料理なんだと再確認した山口さん。福井に帰ってくると山口さんの思惑通り見事な小麦が出来ていて、大量に収穫できたそうです。
「そんな中、また実家のお店をするタイミングが来ました。今の旦那とも運命的に出会っていて、お互い音楽が好きだったので再開したRICOではライブをたくさん開催しました。いろんな人が混ざり合って面白かったし、そのご縁が今も続いています。」
RICOを始める前からずっと田舎で暮らしたいというビジョンをお持ちだった山口さん。でも、当初から自分が何も得ていないまま田舎に行っても、ただ埋もれるだけだ……と感じておられたとのこと。河和田への移住は自分に自信が持てたことで決意されました。
「その頃ずっと目の前を忙しく働いていたので、休みの日にプライベートとして二人でどこかへ出かけることなんて、ほとんどありませんでしたが、あるとき週末のイベントが2週間空いたことをきっかけに、そろそろ家庭を持つ場所を考えた方が良いのかもとなりました。住む場所は河和田にこだわっていたわけではありませんが、ご縁が次々と重なり、お互いの住まいの真ん中であり、ヤギさんがおとなりの畑にいる、自然に囲まれたこじんまりした家、近くに綺麗な湧き水と温泉が決め手になりましたね。」
近所にあったお屋敷も紹介されたそうですが、お二人がバックパッカーだったこともあり、人生にたくさんの荷物は要らないからと、小さい小屋のような家を選択されました。家の居心地が良ければ子育てをしながら仕事ができる。身の回りの環境が変わるたびに、状況に合わせた行動をしてこられました。
暮らしが基本で仕事はその次。自宅を最高の環境にしよう。
「2度目のRICOをやっていたときは週4日の営業と週末のイベント出店をしてバランスをとっていました。たいした収入は無かったけど、素晴らしい素材の生産者に恵まれ、料理で喜ばれ、色んな人に会えるのが楽しみでやっていましたね。私にとって、同じことを心ここにあらずで毎日繰り返すのは効率が悪いんです。特に、移住した結婚後は、山の暮らしと家族との生活が一番なので日常の生活を大切にした上で余った時間で集中して仕事をするというスタンスに自然となりました。」
ご両親が自営業だったこともあり、山口さんの働き方のイメージも、どこかで働くのではなく「自分で」という感覚が強いそうです。
「親には感謝しかありませんが、親世代と私のワークバランスは違います。現在は普段、季節に合わせた仕事をしていて、春から始まる出店、料理教室やケータリング、レシピ提供、冬季限定で野生カカオ豆から作るローチョコ販売といった、やりがいのある料理のお仕事をおかげさまでやらせていただいています」
さらにその一方で、家族や友人と薪割りをしたり、湧き水を汲みに行ったり、畑をしたり、簡単なDIYをしたりできることは自分でやって自給するという暮らしを楽しんでおられます。
「こういった日常の仕事場や遊び場をより快適にしてきたいし、暮らしの仕事をそのままこれからの子育てにも生かせるといいなと思っています。」
世界中を回ってこられた中で、近くにお互いの実家があり、美味しい湧き水と温泉がある今の環境が世界で一番良いと話す山口さん。
「この場所に住んでいて、高齢化に対しての不安はありますが、若い世代が頑張って、全国から注目されている河和田に子育て世代の移住者が増えるような気がしていて、希望も持っています。移住してから植えた果樹の木が育つ楽しみもあるし、釡戸やピザ釡も作りたいし、自分たちの子どもが何か面白いことを考えてくれるかもしれないですよね。もっと子どもの目線を取り入れた暮らしをしていきたいです。」
(インタビューしながら作っていただいていたカレー。美味しすぎました……)
「これまでの自分の料理はおいしくて『薬効がある』というのがテーマだったんですが、今は『伝統的で無くならないものには薬効がある』ということに気が付きました。私は海外でも暮らしていましたが、外に出るほど伝統的な日本料理の素晴らしさを感じるのと同時に、私が学んで来たインドの伝統医学であるアーユルヴェーダ料理のような身体にやさしいスパイス&ハーブ料理には沢山の共通点があります。例えば、その地でとれた旬のものをその季節にあった調理法で出来立てのうちにいただくというシンプルな教えですが、夫婦仕事で忙しい現代社会では最高の贅沢なのかもと思います。」
仕事のための仕事ではなく、生きるための仕事や家族への愛情や他者への思いやりは健康で幸せにいきるためにも大切にするべきで、そのためにもワークバランスは大切です。そして当たり前のことですが、毎日の食事や自然のリズムに沿った生活習慣がとても大事だと、山口さんは考えておられます。
「私は今まで料理を友人や恋人から始まり、お世話になった方への感謝、お客さん、家族の為に好きで作ってきましたが、料理を始めた20歳の頃には生理不順で不妊治療をしないと子どもを授からない身体と言われていました。そのときのホルモン治療が身体に合わず、色々自分でも勉強して今に行き着いたんですが、不妊治療などは何もせずに奇跡が起きて、今、お腹に赤ちゃんがいます。つわりは全く無く、自分の体調が優れなくても身体に必要なものが何か分かるのは楽でした。
今までの学びの結果が報われ、つくづく一番自分の為だったんだと思います。これからも今までの学びを子育てに生かして、更なる学びを楽しみ、これからも二度と戻ってこない今ここを大切に、私たち夫婦も、授かった子どもと愛犬、新入りの愛猫とともに、仲良く逞しく成長していきたいです。」
しばらくは出店や料理教室などは産休される山口さんですが、この経験もまた、料理のお仕事に活かせたらとお話してくださいました。
とても仲の良い山口夫妻。ゆくゆくは和紙職人の旦那さんとコラボした仕事をしたいと考えておられるそうです。身体も心もホッとするような料理をテーマに、毎日コツコツと暮らしを積み重ねておられます。
【山口誠子さんのお仕事】
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