錦壽 | 「芸術品」ではなく「普段使いしやすい漆器」を追求。実用性の高いジーンズ感覚の漆器作り。
「モットーは『楽しくやる』ということですね。プライドももちろん必要ですが、楽しくなければ続けられませんから。そうすればだんだん自分たちのものづくりが好きになっていきます。」
そうやって漆器にポジティブに向き合って、出来なかったことが出来るようになったり、ときには失敗もしたり。好きなことを仕事にしている人を見ると、なんだかとても微笑ましくて、羨ましい。
仕事も大切だけど、家族の時間も大切にする。家族経営ならではの温かみを活かす。
家族経営で運営される工房「錦壽」は、鯖江市寺中町にあります。
(急に細くなる道を登っていくと見えてきます)
会社の隣には単管パイプで棚が作られ、日差しよけのグリーンカーテンを兼ねたブドウやキウイたちが、野性味全開でぶら下がっていました。
今回お話を伺ったのは山岸芳次(やまぎし・よしつぐ)さん。男気あふれる雰囲気が印象的で、案内していただいた工房内では、お姉さんやご両親に全幅の信頼を寄せてものづくりを進めておられる場面に遭遇することができ、「楽しくやる」ということを徹底されているのだと感じられました。
「自身の価値観として、せっかく子どもが大きくなってきて今しかない家族の時間が持てるのに、24時間365日ずっと頭の中が仕事というのは寂しいなと。同業者との飲み会に誘われて、これは勉強になるし行きたいな……と揺れることはありますが、今は家族との時間を優先するようにしていますね。」
芳次さんは錦壽の7代目。現在36歳で、21歳の頃から漆器の仕事をスタートされました。
「結婚して子どもが出来て、就活していたころに父から『漆器をやってみないか』と声がかかり、地元に戻ってやり始めたのがきっかけです。がむしゃらに仕事をしていましたが、経営者として先を見据え始めたのは30歳になったくらいで、本来ならもっと社会に揉まれていないといけない年齢です。気持ちを切り替えて動き出したのですが、その途端に、急に親父からバトンが回ってきました。荒療治でしたが、結果的には良かったのかなと思っています。」
バトンが回ってきたというのは、先代の山岸厚夫さんが4年前に脳梗塞で入院され、全ての仕事が芳次さんに引き継がれた……ということです。本当に急な交代で仕事の段取りも一から組み立て直さなければならず、しばらく徹夜の日々が続いたそうです。
「父は右半身不随になりました。その後リハビリで徐々に歩けるようにはなってきたので、左手だけで出来る包装や簡単な仕事から再スタートし始めました。2年くらい経って結構体調が戻ってきたので、再び作品を作ろうと。身体は動きませんが、感性は残っているんですね。昔は父が作家と経営者の両方を担っていましたが、経営は私が担当して持続していける状態になってきたので、少し余裕が出てきました。
作って欲しいと言って下さる父のファンが何人もいたので、声をかけてもらったことをきっかけに頑張って作品制作をしています。塗りはもう出来ないので、感性をぶつけて凸凹を活かす仕事を模索しながらやっています。」
錦壽のコンセプトは「普段使いしやすい漆器」。新品のジーンズを洗ったような、すり減った雰囲気の漆器です。厚夫さんは作品を作っておられますが、芳次さんは蒔絵をしない、普段使いを徹底した、刷毛目を強く出した汁椀や丼を中心に作っておられます。
「今では普通に目にしますが、当時は『刷毛目を残す』という行為は下手な仕事という考えがあり、同業者にも一般の方々にも、なかなか受け入れられないものでした。それでも『普段使いやすい丈夫な漆器=刷毛目塗り』という信念を貫き、個展や展示会などで地道なPRを続けた結果、多くの方々に受け入れられ、ご好評をいただけるまでになりました。
普段使いということで、お客さんが商品を我が子のように扱ってくれることがあるんです。『この子病気しちゃったみたいで、里帰りさせるので、きちっと直して戻して下さい』と言われて送られて来るとやっぱり嬉しいですね。」
出来る範囲で出来ることをやる。無理しない代わりに他人を頼ろう。
「もともと自分がやっていた塗りの作業をしつつ、たまに出張に行って商談をしています。本当はもっと外へ営業に行くべきなのですが、なかなか時間が取れないのでギフトショーなどに出展をして新規開拓をしています。あとはwebでPRをしたり、出荷業務なども担当します。父はなんでも自分でやろうという人だったので、経理関係も自分でやっていました。私はその仕事量はこなせないと感じて、外注できるところは外へお願いしています。」
芳次さんの代で、なんでも無理してやってしまうのではなく、餅は餅屋へ外注することで経営をスマートにされてきたそうです。さらに事業拡大のため、最近は木地が出来る方に製作をしてもらっているそうです。
「塗りがうちの強みなのですが、木地まで内製できたらもっと強くなると考え、お願いしました。木地は自分自身が昔からやりたかったこともあり、少しずつ機械を揃えて夜な夜な練習していました。自分で出来るようになることで、他の木地職人さんとの対話がスムーズになるのではと考えていたからです。でも、結局経営に追われて手が付けられずにいたところで親父が倒れたので、これはもう自分ではできないなと諦めました。」
木地の機械たちは倉庫にずっと眠っていたそうですが、全然違う業界で働く知り合いの方に「木地をやってみませんか」と機械を見せて触り方を教えたところ、とても上手だったのだとか。その後は試行錯誤しながら、腕を磨かれているそうです。
錦壽は長年の歴史の中で培ってきた方法論に惑わされず、今ある素材で出来る限りのことを考え、商品を作っていきます。
「親父がやっていた仕事は今でも人気でファンが多いです。でも、せっかく自分が継いだのだから何かオリジナリティを出して、まずは自分が気に入るものを作っていきたいと思っています。」
時代は変化し続けており、ライフスタイルや食生活も変わってきています。しかし、長い歴史を持つ漆器は現代でも使いやすいものなのです。今後も歴史ある「漆器」を継続して追及して行くとともに、将来に向けて新しい感覚の漆を提案し続けて行きたいと、芳次さんは考えておられます。
錦壽の歴史ある工房では、2階部分をショールームのような形で一般公開されています。どんな場所で漆器が作られているのか、興味のある方はぜひお気軽にご連絡ください。
【連絡先】
錦壽(webページはこちらから)
〒916-1232 福井県鯖江市寺中町21-2-1
TEL:0778-65-3001
FAX:0778-65-2490
MAIL:info@urushi.com