錦古里漆器店 | 若者たちが集まる空間に生まれ変わった工房。時代に合わせた漆器が生み出される現場がここに。
鯖江市河和田地区にある錦古里漆器店は、兄弟がお二人で営まれる「漆塗り」の工房です。創業以来、祖父の代から3代目で90年間外食産業の業務用漆器を中心に製造販売を行ってこられました。今回お話を伺ったのは、お兄さんの錦古里正孝(きんこり・まさたか)さん。錦古里さんの言葉とお仕事を通して、漆器の仕事の魅力をお伝えしていきます。
「手で持てるものならだいたい塗れる。ベテラン漆器職人の技が光る仕事。」
錦古里さんは昭和28年生まれの66歳。漆器職人になって47年というベテランです。職人になる前は、東京の築地市場のすぐ近くにあった業務用専門漆器の問屋で3年ほど働いておられました。消費者問屋に身を置けば物の流れがわかるようになるだろうと、丁稚奉公で働いておられました。
「錦古里という姓は珍しいとよく言われますが、足羽郡羽生村の美山が錦古里の発祥です。なぜそこから河和田に出てきたのかというと、私の祖父は身体障害者で、右足が棒のようになっていて動きませんでした。美山は林業が盛んな地域だったので、足が動かないと仕事ができません。しかし河和田の漆器は座りながら仕事ができる場所です。祖父は引っ越してきて来て、問屋さんで仕事を習い始めました。板の間に座って、右足を投げ出して仕事をしていたのを覚えています。それを父が継いで、私たち兄弟が継ぎました。子どもの頃から当たり前のように手伝いをしていましたね。」
(錦古里さんのお父様が仕事をされている貴重な写真)
錦古里さんは漆器の工程の中で「上塗り」という仕事をされています。上塗りは基本的には漆を2~3回塗り重ね、角・内面・底面など部分に分けて塗っていく仕事です。塵・ホコリ一つ付かないように塗るため、かなりの集中力が必要な作業なのだとか。さらに刷毛の目が残らないように撫でるような刷毛使いをしなければならず、これを習得するには、1日に100個程をつくり続けて、10年~15年ほどかかるそうです。
(弟の正二さん。工房1階の奥でお仕事をされています。)
「作られてきた木地を、弟が下地付けをして中塗りをします。その後、私が上塗りをして完成させます。当時、弟子入り時代は、自分が塗ってこれで良いかなと思ったものを隣りにいる父に渡すと、それを塗り直されてから漆風呂(適当な温度と湿度を保って、漆を塗った器物を乾燥させる室。)へ。厳しくチェックされました。この期間を2-3年ほど経験し、成長してきました。」
家族の中でしっかりと技術を継承された錦古里さん。得意な技法は何かと尋ねてみました。
「手で持って塗れるものであれば、だいたいのものは塗れますね。これは、口で言うのは簡単ですが、実は非常に難しいことなんです。例えば丸い形をしている刀の鞘。場所によって厚みが違ってはいけませんし、切れ目なく、ひと塗りで仕上げなければなりません。今でこそできる技ですが、昔は技術が未熟だったこともあり、鞘は研ぎ出して仕上げることが多かったんです。」
「技術的な刷毛さばきについては感覚の世界なので、口で説明するのは本当に難しいです。その日の気候条件、うるしの状態、塗る対象物の状態をトータルで考え、刷毛を自在に使って、いかに均一に刷毛目を残さずに塗れるか。それの積み重ねです。力の入れ方が大切で、最後は撫でるような刷毛さばきで仕上げていきます。」
ほとんどの職人さんは自分で使う刷毛は自分で作っているという驚きのお話も聞かせていただきました。そしてなんと錦古里さんは、先代が使っていた40年以上前の刷毛を使っておられるのだとか。
「だいたい4~5年くらいで使えなくなるんですが、板を削って毛を出していき、数ミリ単位で、カンナで削って毛先を揃えると、毛が無くなるまで使えるんです。いろんな形の刷毛がないと細かい塗りができないので、上塗りの技術のある人は良い刷毛をたくさん持っています。うちのは、一番新しいもので昭和50年のもの。そして自分の使っている漆風呂は大正時代のものです。」
(ちなみに、樹液である漆を塗る刷毛は菜種油と非常に相性が良いらしく、油で刷毛を洗うと綺麗になるのだそう。錦古里漆器店ではキャノーラ油使用されている。)
技術だけでなく、道具も受け継ぐというところに、漆器の伝統を感じました。
錦古里さんの1日の仕事の流れはどのようなものになりますか?
「8:00には仕事を始めます。そこから、根を詰めるときは20時でも21時でも仕事をしています。でも個人経営なので仕事が途切れてたら休んでいます。基本的に自分たちが塗っている色は黒がほとんどなのですが、たまに珍しい色もあります。その場合は次の日に持ち越しにくいので、1日で全部やってしまう。数が多い場合は1日でどのくらいで塗れて、いつ塗って、いつ納品できるかというところまで逆算して段取りを立てます。」
湿度が高いと漆はすぐに乾きます。極端に乾く日には、もう今日は仕事を辞めようという話も近所でよく聞きます。また台風の日には、隙間風でゴミが舞い、塗ったそばからどんどん付着していくから塗らん方が良いわとなることも。気候条件にものすごく左右される。それだけ自然環境に影響を受ける仕事だということです(笑)
「伝統とは、産業とは何か。若者のニーズを肌で感じられる工房で考える。」
あと10~15年ほどしたら同年代の職人が仕事を辞め、河和田で塗り物ができる人は殆どいなくなると言う錦古里さん。業務用漆器全体で考えると、吹付け塗装技術で綺麗に塗ることができれば「産業」としては残るが、「伝統」としては風前の灯火だと話します。
「自分たちがずっと作ってきた『ピカピカ』なものだけが漆塗りじゃない。ザラザラしたものや、紙を貼ったものなども漆塗りなんです。今後そういった形の漆塗り商品が増えてくるのは間違いありません。」
「2019年の4月にTOURISTOREが完成して、いろんな人が訪ねて来るので話していても、若い人はみんなザラザラしたものに興味を持ち、ピカピカな漆に興味を持つ人はほとんどいません。今の若い人たちの感性や、生活スタイルに合っていないんだと思います。」
一般のお客さんは購入するときに、自分の家に「これがあると暮らしがどうなる?」ということを考えると言う錦古里さん。例えば「お重箱」は今のライフスタイルで使用することは少なくなりましたが、30~40年前は必需品でした。ここ数年、実は木製品はほとんど売れていないのだとか。
「売れないと言いますが、現代の生活スタイルと合わないので売れるわけがありません。昔の文箱(書状などを入れておく手箱)を、MDF(木質繊維を原料とする成形板の一種)を使ってA4書類が入るものを作ってみたら、ちゃんと売れた。生活スタイルに合わせた商品が「今後の漆塗り製品」になっていく可能性がある。MDFだとそんなに綺麗に塗る必要は無いんですが、僕たちには技術があるから敢えて綺麗に塗ることができるというのも強みです。」
「今の若い人は漆塗りの価値を知りません。漆器のお椀でお味噌汁を飲むことが週に何度も無いからです。作っても使われないのがお椀なんですね。でも、どんなときでも売れ筋の商品というのはあります。今の生活スタイルにあった新しい漆塗りの商品を上手に作っていけば商品も売れていきますし、技術も継承していけます。ここに遊びにくる若者たちからヒントをもらい、時代に合ったものづくりをしていきたいですね。」
今までの歴史の上に技術や価値を塗り加えて、新しいものを生み出していくということだと錦古里さんは話します。一歩一歩ゆっくりと、これからも伝統を進化させていくのでしょう。
「死ぬまで職人でありたい。そのために自分自身が変わっていく勇気を持つ。」
「漆塗りができる人が残るかどうかが、産地として維持していく条件だと考えています。プラスチックに吹き付けで塗れる人が残るというのは、伝統ではなく産業が残るということです。漆塗りができる人が持てる技術を使って今あるものに価値を与え、新しいものを作り出していく。これが40年前は重箱やお盆だったんです。世の中の主食がご飯からパンに移り変わっていったように、私たちも変わっていかなければなりません。」
漆器のような雑貨製品は生活必需品ではないので、需要がどんどん減ってきているそうです。そのようなマーケットの中で、錦古里さんは「技術を持っている人がその技術を発揮できなくなる前」に手を打っていきたいと考えておられ、河和田を訪れる方を対象にしたうるし塗り体験を積極的に実施されています。
「わたしは死ぬまで職人でいたいと思っています。あれ、最近工房の2階が静かになったなぁと上を見に行ったら刷毛を持って死んでいた、みたいな最後が職人的で良いんじゃないかな(笑)」
錦古里漆器店は現在、デザインスタジオ「TSUGI」が運営する「TOURISTORE」との複合施設になっています。施設内にはショップ・漆器工房・観光案内所・デザイン事務所・レンタサイクルが入り、福井のものづくりとデザインの「いま」を体感できる施設です。お話好きの錦古里さんに会いに、ぜひお立ち寄りください。
【連絡先】
錦古里漆器店
〒916-1222 福井県鯖江市河和田町19-8
0778-65-2233