駒本蒔絵工房 | 令和元年春の叙勲(瑞宝単光章)を受賞。地域を代表する蒔絵職人のこれまでとこれから。

河和田地区にある唯一のコンビニ、ファミリーマートから徒歩3分。細い道を曲がり進んでいくと、駒本さんの自宅の隣に「駒本蒔絵工房」があります。

今回お話を伺ったのは蒔絵職人である駒本長信(こまもと・たけのぶ)さん。駒本さんは今年76歳。25歳から漆器の仕事を始めました。同じ河和田の職人さんと比べると遅いスタートでしたが、なんと今年「令和元年春の叙勲(瑞宝単光章)」を受賞されました。20年前から漆器の仕事だけではなく、社会活動や地域活動にも積極的に取り組んでおられ、その姿は地域の様々な方面でお手本になっています。

奥様と、授賞式でのお写真。)

永平寺町生まれの駒本さんは大学では建築を学び、卒業後は大阪の都島にある建設現場に2年間お勤めされました。奈良県にある登美ヶ丘団地の建設に関わっておられましたが、その会社が経営不振で倒産。それを機にご結婚をされ、昭和43年に奥様のご実家の仕事であった漆器の道に入りました。

「産地全体で技術研鑽を。閉じられた世界だった蒔絵をオープンに。」

「私は義父に漆の仕事を習いました。当時は忙しくて1日10時間~12時間ほど仕事をしていましたが、まだまだ仕事が追いつかないような状況でした。バブルの頃で好景気に湧いていて、それが平成の初め頃まで20年間ほど続きました。」

中学卒業と同時に仕事を始める職人さんよりも10年遅いスタート。駒本さんはその時間を埋めるのにとても苦労されたそうです。

「当時河和田に京都帰りの職人である加藤さんという方がいて『うちに習いに来ないか』と声をかけてもらいました。知り合ったとき加藤さんは70歳前後だったので、今のわたしの年齢くらいです。熱心に蒔絵をやっていた若者にだけ声をかけてくれて、自分の技術を授けたかったんだと思います。蒔絵の本当の技法をたくさん教えていただき、習ったことが今の自分を作っていると思います。」

加藤さんに教わった蒔絵技術を分類すると、下記のように分けられるそうです。

①消し蒔絵/②磨き蒔絵/③研出蒔絵/④高上げ蒔絵/⑤肉合蒔絵

当時、河和田には②の磨き蒔絵ができる程の技術しか無かったそうです。しかしそれでも当時の業務内容としては十分だったのだとか。

「河和田の場合は②~③段階まであれば技術的に十分でしたが、加藤さんは最高レベルまで我々に教えてくれました。訓練を積みながら、少しずつ習得していったんです。私たち若手は、まだまだ裕福ではありませんでしたが、皆で材料費や実費を出し合って、成長していきました。」

さらに蒔絵技術に加えて基礎画力が必要ということで、昭和56年に蒔絵師が集まって画力向上を目指した「漆琳会」を発足されました。ピーク時には、河和田に蒔絵師だけで40人ほどおられたそうですが、そのうちの10名がメンバーとして活動されていました。

(※漆琳とは、漆をもって光り輝かせるという意味。現在も漆琳会は駒本さんをはじめ、前田利栄さん、塚田孝一郎さん、山本勝さん、橋本一弘さんなどの実力派職人さんが5名所属されている。)

「漆琳会では週に1度、展覧会に向けた作品を共同制作していました。『脱乾漆技法』や『肉合蒔絵』など。それぞれの持っている高い技術をオープンにして、切磋琢磨していきました。当時の河和田では技術は一子相伝のものと考えられていたんですが、我々はそんなに大したものではないと思っていました。技術をオープンにしても結局同じものは作れないので、隠して守るよりもオープンにして地域全体で情報交換をしながら技術研鑽に努め、作品づくりに生かした方が良いと気づいたんです。」

漆琳会では昭和57年から福井県民会館にて漆琳会の展覧会を20回開催されました。技術を高めあったメンバーはその後の展覧会でもどんどん入賞していったそうです。実務を日々の仕事で、作品制作を漆琳会で行うことで相乗効果が生まれ、今までは河和田に無かった上質な仕事を引き受けられるようになってきたのだとか。


(駒本蒔絵工房の奥に立つ離れが漆琳会の作品制作場所になっていたそうです。)

「同じ蒔絵師でもそれぞれ得意分野があって、漆琳会の5名もそれぞれ特徴があるんです。作品を見ると、タッチや図案の構成などで個人差が出るから誰の作品かわかります。だから先程言ったように、技術の一子相伝というのはあまり意味がなくて、職人に重要なのはセンス。次に要領。どこまで納期に合わせて良いものを作り上げられるかだと思いますね。」

「伝統とは技法のこと。若者たちへ技を継承することの大切さ。」

駒本さんは産地の未来についてどのように考えておられますか。

「複数の地域団体の会合に参加していて思うのですが、人口問題はどこでもありますが河和田においては産業に光がさせばなんとかなるのではと思っています。みんな模索していますが、まだ打開策は見つかっていなません。じっくりと産業の振興策を見出していきたいと考えています。」

産地が抱えている問題は大きいものです。現在河和田では、慶応大学大学院や東京芸術大学を中心に、越前漆器の海外向け商品展開を推進していますが、険しい道になるのではと駒本さんは考えておられます。

「今の時代、若者はオールマイティに技術習得しないと生き残れないと思っています。木地・塗り・蒔絵と、全部できるようになってほしい。私自身としては職人塾や河和田アートキャンプの学生たちに向けて、自分の技術を教えていきたいと思っていて、そこに対する助力やアドバイスは惜しみません。私自身が加藤さんから教わったように、河和田の技術を次世代に伝えていきたいと思っています。」

上の世代が下の世代を育てていく。江戸期の文化が育ったのは、漆器に限らず旦那衆が職人を育てたから。産地の未来は、若者に来てもらって技術を習得してもらい、試行錯誤をして商品を作っていくことでしか継続しない。そのお手伝いをさせてもらたいと話す駒本さん。

「伝統というのは技法のことです。それに加えて、自分の価値を高めるのは技術。技法は習わないとなかなか自分では編み出せませんが、伝統は技法であって、技術はその上に被せて作っていけば良いんです。」

美術館に展示された過去の漆器だと、駒本さんでもどのような材料を使ってどうやって作り、どのような仕上げをしたのかがわからないものもあるという。それはもう技法=伝統が途絶えているということなのかもしれません。

河和田に残る伝統を途絶えさせないように、漆器産業だけでなく地域活動も積極的にリードされる駒本さん。漆器の仕事は減少傾向にあり決して成長産業ではありませんが、この記事を読んで共感された若くて覚悟のある方は、駒本蒔絵工房のドアを叩いてみてはいかがでしょうか。

【連絡先】
駒本蒔絵工房
〒916-1224 福井県鯖江市莇生田町14-5-1
0778-65-0377

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