株式会社ニッセイ|素材からものづくりまで。あらゆるチタンのトータルサポートをする日本の要。

鯖江と言えば「眼鏡」。

1905年にある一人の男が、眼鏡は必需品になるという先見のもと鯖江で眼鏡づくりが始まり、国内の9割を超えるシェアを占める一大産地となりました。 そして、眼鏡製造で培った多種多様な技術が異業種でも戦えるという強みを活かし、同業異業種の職人を束ねて、進化し続けるのがニッセイです。

精密ねじの製造で全国トップクラスのメーカーである日東精工の技術交流の中で誕生した商品を眼鏡用に改良できないかということがきっかけで、1975年に創業しました。

まず、お話をお伺いしたのは白﨑社長です。

白﨑社長:「当社は、眼鏡用資材の総合商社として成長してきました。3人で会社を立ち上げた当初は、眼鏡を作るための消耗品を中心に眼鏡の材料と研磨剤などの消耗品の販売に絞り、安定した売り上げで良いスタートを切りました。」

しかし、リーマン・ショック後の需要が低迷し始めたことと、中国から安い商品が入り始めたことで状況は少しずつ変わっていったとのこと。

白﨑社長:「2001年、東京に格安眼鏡ショップができました。僕も見に行きましたが、眼鏡の小売店の前に100人、200人の行列が出来ている光景に衝撃を受けました。まちの眼鏡屋にはお客さんがポツポツっと1人2人って入るぐらいが普通でしたからね。さらに衝撃だったのは価格です。眼鏡(レンズ込み)が5,000円~9,000円で売られていました。それまでは、鯖江の眼鏡は安くても20,000円~50,000円でも普通に売れていましたから、ここから時代が変わるぞと覚悟しました。」

今振り返ると、格安で眼鏡を購入できるお店ができたことによって、眼鏡の複数所持、眼鏡はファッションだという新しい認識を作ってくれたような気がしますと話す白﨑社長。 視力の矯正が目的だった眼鏡が、今や「アイウェア」と呼ばれるようにファッションアイテムの1つになっていったのは、眼鏡の常識が大きく変わった潮目でした。

この技術、眼鏡しか通用しないのか。
問いかけられ、気づいたチタンの可能性。

眼鏡産業が低迷する過渡期にいたのは、ニッセイだけではありませんでした。

白﨑社長:「チタンで眼鏡の部品を扱っていた会社の社長と、居酒屋でお酒を吞みながら将来の悲観話をしていた時に、『この技術は眼鏡しか通用しないのか。何か他に通用するものがあるんじゃないか』と問いかけられました。

鯖江は分業体制ができていたので、ロウ付け、プレス、研磨、メッキ。それぞれに特化した企業を集めて、同業種業態のチームつくろうと思い立ちました。 そして、チタンクリエーター福井というチームが誕生しました。」

白﨑社長が声を掛け、6、7人の社長が集まり、抱えていた葛藤や温めてきたアイデアなどざっくばらんに話すところから始まりました。

白﨑社長:「釣り好きな社長はチタンの軽く錆びない特性が釣具に最適だと言い、

チタンの文献を読んだ社長はチタンの人体と親和性の高い特性が医療器具に使ってみようと言いました。

医療器具にチタンを使うのは、今でこそ当たり前ですが、当時は医療器具にチタンを使う発想もなかったですし、そもそも日本に医療器具メーカーがほとんどなかったので未開拓分野でした。

新しい技術に挑戦する意欲が高まり、実現に向かって進むスピード感があったといいます。

2008年10月、ニッセイが中心となりチタンクリエーター福井が結成されました。 全国各地の難加工技術展に足を運び、新たな産業への進出を模索したと言います。

白﨑社長「当時は異業態が集まったチームというのは非常に珍しがられました。1つのブースの中に6つの会社名が並び、一見、関連性のない商品がショーケースに飾られているので、お客様は不思議がっていました。一体何を売りたいんですか、何屋なんですかと聞かれることもありました。」

チタンクリエーター福井は、今でいう「異業種連携」や「異業種コラボレーション」の先駆けだったことは間違いありません。 眼鏡の一大産地として鯖江に様々なものづくりの企業が集積していたからこそできた、連携の形でした。

お客さんのありがとうが聞こえる『ものづくりの距離感』

入社9年目のマテリアル部の山岸さんに、チタンクリエーター福井の同業異業種のおもしろさをお伺いしました。

山岸さん:「各社集まって勉強会を開催して、自分の専門分野以外の基本的な技術を学び合っています。お互いに知っておいてもらいたいことや苦手な加工なども共有することで、お客さんから相談を受けた時点で、質問や可能性について答えられるようなりました。」

山岸さんは鯖江市出身で、小学校での理科の実験が大好きだったことがきっかけで、福井高専の物質工学科に進学しました。引張強度や金属の結晶構造など、素材の知識を身に着けていた山岸さんは120点の人材です!と絶賛する白﨑社長。


山岸さん:「うまくできるかな…っていう不安は今でもあります(笑)   
お客さんから依頼を受けて、見積、試作、検査などデザイン以外の工程を1人で担うので、プレッシャーもあります。でも、自分で解決しようとせず何でも聞いてくれ!という先輩の言葉に安心して、仕事に取り組めています。 商品の企画段階からお客さんのありがとうが聞こえるまで一貫して携われるので、やりがいも大きく、色々なスキルを身に付けられている実感を持てます。」

平均勤続年数16年!「家庭半分、仕事半分がキホン」という社長の思いをカタチにする社内改革。

会社は家族みたいな感覚を持っていると話す白崎社長は、出勤した社員の顔色を見て声を掛けるのが日課です。

ニッセイは、役員合わせても11人と少数精鋭。

さらに、入社3年目の社員もいる中、社員の平均勤続年数は16年で、約半数が女性というから驚きです。

社員の働きやすさをつくっているのが、財務担当の大刀さんですと白﨑社長が紹介してくださいました。

大刀さん:「例えば、8時間の業務時間を、30分短縮してみんなの自由な時間を増やしてみました。日経新聞を読んでいると大手は給与を下げずに業務時間を短縮している会社も多くありますよね。社員にとって働きやすい環境をどうやったら実現できるのか、どうやって真似しようかと考えます。」

自身の転職での苦い経験をもとに、完全週休2日制の導入や売り上げが良かった年は昇給やボーナスで還元するなど、社員が長く働ける環境を常に追求しているそうです。

次なるは新たな市場開拓へ

眼鏡の小ねじの販売から始まり、100年以上続く鯖江の眼鏡産業を支え、発展させてきたニッセイ。

次に見据えているのは、受注加工からオリジナル製品の商品化と話します。

白﨑社長:「会社としては、眼鏡産業をベースにしながらも、チタンクリエーターを通じて医療関連など異業種へ舵を切っていきたい。価格競争ではなく、職人の手によって作られた付加価値のある商品を販売していきたいですね。ある程度商品数が揃ったら、東京やニューヨークにアンテナショップを設けみたり。次の、またその次の社長の代になってしまうかもしれませんが目指していきたいですね。」

ニッセイでは、文系の人材が市場開拓やチャンスの発見に活躍し、それを理系の人材が具現化して商品化に繋げることを目指しています。

売上の63%が海外とのことで、語学力(英語、中国語)のある方も大歓迎とのこと。

ニッセイに興味のあるかたは、是非連絡してみてください。

▼連絡先
担当者:総務部 大刀(おおだち)
TEL :0778-52-5615
Mail:information@nissey-sabae.co.jp
HP:https://www.nissey-sabae.co.jp/

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