大森木工所 | ものづくりは自分の力で悟ること。漆器問屋から頼りにされる夫婦の工房

漆器の仕事というのは身体が元気な限り、70代や80代になってもできるとよく言われています。

実際に越前漆器の職人さんは、世間で定年と呼ばれる年齢を迎えてもまだまだ現役。仕事を辞めることなく、自分の身体・やる気と向き合いながら、体力の続く限り、コツコツと仕事と向き合うタフな姿勢を見ることができます。

時代とともに品物は変わる。夫婦二人三脚で柔軟に対応してきた。

鯖江市河和田町にある漆器の神様を祀る「敷山神社」へ向かう参道。その坂の途中には、いつも機械音が聞こえてくる職人工房、大森木工所があります。

今回、お話を伺ったのは、夫婦で角物木地作りをされている大森五(おおもり・あつむ)さん70歳。

取材をさせていただいた工房では、角盆の製造の真っ最中でした。木地を組み立て、接着が終わった木地を積み重ねて乾燥を待っています。何段にも積み重ねられた木地の量に圧倒されてしまいました。

「昔は漆を塗って仕上げる重箱やお膳といった商品の木地を作る仕事がほとんどでしたが、最近は吹付け塗料で仕上げる木地の仕事も増えてきています。ホテルに納品するティッシュ箱やタオル掛け、ダストボックスなどの日用雑貨の依頼も多いですね。素材もタモやウォールナットという木で作って欲しいという依頼が多く、最終的に漆を塗るのではなくクリア塗装で仕上げて、木の色や木目を見せるような流れになってきています。」

ホテルに納品される商品は「部屋数×個数」と、まとまった数の発注があるので、土日でもコツコツ仕事をされている大森さんの姿を見かけます。

主に大森さんが材料の切り出しを担当、奥様が組み立てや接着を担当し、夫婦二人三脚で木地を作り上げていきます。

「角物木地の仕事はもう39年目になります。私はすぐに漆器の仕事を始めたのではなく、中学校を卒業して16歳から名古屋にある鉄工所に勤めていました。旋盤やフライスで図面を頼りに切削加工を行い、部品から機械を組み立て完成させるといった仕事をしていました。」

大森さんの出身は鯖江市の隣町である旧今立町。名古屋で15年間鉄工のお仕事をされていましたが、31歳のときに結婚を機に鯖江市河和田町へ。大森木工所は奥様の実家であり、お義父様がやっていた木工所の仕事を承継されました。

前職の鉄工業では、たくさんの機械を使って工夫しながら形を作っていくという工程。その加工の過程は、角物木地作りも同じ。大森さんにとっては、素材が鉄から木に変わっただけで、鉄工所でやってきた仕事が木地づくりにも十分に活かされたそうです。

「当初、木工の仕事を始めた1年間は、大森木工所でお義父さんと一緒に手仕事中心のものづくりをしていましたが、時代の流れで機械が主流になってきました。今後は機械を使いこなさなければ仕事にならないと感じたこともあり、お義父さんと相談した結果、大森木工所の仕事を休んで3〜4年ほどの間、河和田にあった機械が揃っている先進的な木工所で技術を学びに弟子入りしました。」

その頃、大森木工所は1件の取引先の仕事が全体の90%を占めているという柔軟性の無い状態で、技術を学びに行っている間に徐々に仕事が減少して経営が傾きはじめました。このままではいけないと思った大森さんは、新しい取引先を開拓しながら仕事を増やし、同時に新しい機械を導入していくなど、仕事環境を常に新しいものに整えながら、経営の立て直しと技術向上を磨いてこられました。

オリジナルのお盆でおもてなし。自らアイデアを出し商品開発を行う珍しい木地職人の姿。

「依頼を受けた仕事をこなすだけではなく、自分で考えた形の木地サンプルを作っては漆器問屋に提案することを昔から続けています。うちみたいに夫婦だけでやっていると、沢山の案を出したり大量に生産することはなかなか出来ませんが、いつも寝る前に布団の中でアイデアを考えることを癖付けています。」

実際に、大森さんが考えたお盆のサンプルを見せていただきました。取引先や材木屋さんが商談に来られた際には、いつも大森木工所オリジナルのお盆にお菓子とコーヒーを乗せて出しておられるとか。

「趣味のスキーから発想したスノーボード型のお盆や、半月型のお盆、波をイメージした形など、布団の中で考えては仕事が終わった後にオリジナルの木地作りをしています。作っても、お客さんが気に入って買ってくれなければ意味がありません。しかし、これまで自分が提案したものを商品化して、たくさん売ってくれた会社もあります。漆器問屋さんが塗りの仕上げをして東京の展示会に持っていき、お客さんからの良い反応を教えてもらったときは本当に嬉しいですね。」

ときどき、大森さんのオリジナル商品を見た人が工房を訪ねてきて「こんなのはできるか?」と新しい形の相談が入るそうです。大森さんは、自分よりも若い人が自ら提案をして行動することは素晴らしく、また嬉しいことだと話します。 

「これは自分が鉄工所に務めていた時代から考えてきたことですが、

“学ぶ”というのは人から教えてもらったこと。
“悟る”というのは自分の力で考え達成すること。

私は今まで悟ることを大切にしてやってきました。教えてもらったことは忘れるかもしれないけれど、悟ってきたことは一生涯忘れないと思っています。難しい仕事でも、作り方を何度も考え、試行錯誤の末に完成したときは、今でも感動しますね。」

辛い現実と大森木工所の未来。

「大森木工所での角物木地の仕事は、自分の代で終わりだと思ってやっています。収入が伴わないので息子たちには継いでほしいとは思っていません。熱意があってやりたいという人がいるなら機械も木材もたくさんあるので教えてもいいと思いますが、世間並みの収入が得られるのかというと厳しいので、今の若者たちはどのくらいで満足できるのか……と考えてしまいます。」

今使用されている材木の一部は、お義父さんが50年前に準備された材料がまだ残っていて、自分の代で使いきれるかどうかと思っているのだとか。木工所の隣りにある木材倉庫にはたくさんの材料が眠っています。

奥様からは「あんたは80歳まで頑張って」と言われている大森さん。

本音は、隠居できたら良いなとは思っておられるようですが、現実はそうはいかないようです。

「河和田の人は、河和田にいたら80歳まで仕事ができると言うけども、それは逆に言うと80歳まで仕事をしないと生活が出来ないということです。のんびり年金生活がしたいものですね。」

近年、河和田にも若手の職人がちらほらと誕生し、少しずつ盛り上がってきています。

大森さんご夫婦は、今後産地を担っていく若者たちに期待をしながら、そっと暖かく見守っておられます。

おしゃべりが大好きな大森さんご夫婦。

毎年9月に開催される、河和田町のイベント「うるしの里 中道アート」では毎年工房を開放して工作教室を開いておられます。明るくおしゃべりが大好きな大森さんご夫婦。

一度、工房をのぞいてみてはいかがでしょうか。

【連絡先】
大森木工所
〒916-122 福井県鯖江市河和田町15-6
TEL:0778-65-0917

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