【漆琳堂-vol:3/5】アート、工芸、デザイン3つの領域へ。漆琳堂のブランディング。
これまで漆琳堂は、「aisomo cosomo」、「お椀や うちだ」、「RIN&CO.」といった、個性的な3つのブランドを展開してこられました。
ーーどのブランドも朱や黒のこれまでの漆器と印象が違い、カラフルですね。
自社ブランドを作りたいと思い始めたときから、朱や黒だけではない色のサンプルを作っていました。こんなのができたら良いねと妻と話していましたが、どうやって形にして商品にしていったら良いのか分からなかったんです。これまで卸しだったので直営店もなかったし、売るところも分からなくてなくて、どうやってやっていけば良いのだろう…という感じでした。
ーーひとつめのaisomo cosomoはどのように誕生したのですか?
ほとんど成果の無かったギフトショーに出展していたときに、丸若屋代表の丸若裕俊さんに声をかけていただいたんです。
その後丸若さんは福井まで足を運んで、提案をいただき、アイデアをもらい、忠実に作っていったのが「aisomo cosomo」でした。既にあった色サンプルを活かして塗り、丸若さんとロゴや形を決めてどんどん作り上げていきました。
aisomo cosomoを見た 父や祖父からは「売れない」と言われていたのですが、自分の中では方向性はこっちではないかと思っていて、「何をやっても売れないのだから、何でもやったら良いじゃないか」と思って、作りあげていきました。
当時は業務用漆器の販売ルートしか持っていなくて、小売店さんなどのルートを開拓する必要があったのですが、丸若さんから委託で販売させてほしいと言っていただきました。森美術館のミュージアムショップや、新国立美術館のミュージアムショップなどの小売店に並び、ハイエンドなお客様に届き売れるきっかけとなりました。
ーーすぐに東京で販売することができたのですね。
東京に並び始めたときは、嬉しくて嬉しくて。片っ端から見に行って写真もめっちゃ撮りましたね(笑)
aisomocosomoはオレンジ、ピンク、モスグリーン、ベージュなどを使った2色配色で展開していてたくさんバリエーションがあります。初めにコップ(湯呑み)を作ったのですが、漆器のコップがなかったので、新しさもあり、注目されました。
森ビルの飲食店で使いたいとか、企画展に出してほしいという声もかかりましたが、1個ずつちょこちょこ売れる程度で何十個も一気に売れる感じではありませんでした。
うちは、中量生産という形態でやってきたので、1点もののアートになったらダメなんです。一般の生活で使う日用品の漆器を作り、数を売っていきたいと思っていました。
ーーゆっくりとしたスタートだったのですね。
2009年の秋に商品を見た中川政七商店さんから声がかかりました。
中川政七商店は生活雑貨部門を持っておられるのですが、今後全国にお店を作っていく中で商品が必要であることと、6月に「大日本市」という商品と小売店をつなぐ展覧会があるので出展しないかというお誘いをいただき、第1回目の大日本市に参加しました。
ーーかなりスピード感のある展開ですね
京都まで、車で商品を運びながら「騙されているんじゃないか」と思いながら第1回目の大日本市の展示に行きました(笑)。駐車場でも「ほんとうに展示会があるのかな」と思うくらい不安でした。今でこそ中川政七商店が手がける大日本市には50~60社程が出展していますが、第1回は3社のみでした。その内の1社として、漆琳堂の商品を並べてもらいました。
代表の中川さんのことは声をかけていただく前から知っていて、中川さんが書かれた「奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。」という本が出た頃に、購入したのを覚えています。そのときは「奈良にもがんばっている奴がいるんだな、買っておくか!」という軽い感じで見ていましたが…。
巻末に、「コンサルティングを希望する会社を募集します」と書いてあり、ちょっとだけ興味を持ったんですけど、コンサルティングという言葉が怪しいなと思って踏み込めなかったんですよね。
騙されているんじゃないかと思いながら出展した第一回目の大日本市が開催される前、中川さんから「一度、東京に来ませんか」と突然の連絡が入ったんです。普段なら出張が無ければ東京まで行かないですが、そのときは東京に何も用事はなかったのですが、なぜか行った方が良いという勘が働いて、中川さんに会いに行ったんです。
夕方の表参道ヒルズの喫茶店で、会社の売り上げや経営のこと、今後のこと、将来の夢などを話しました。そんなことを聞かれるとは思っていなかったんですが、ひとつひとつ答えていきました。ちゃんと話を聞いてくれる、信頼できる方だなと思い、中川さんと一緒にやっていくことを決めました。
その後、大日本市への出展がスタート時の3社で何回か続いていたのですが、途中から中川さんのコンサルティングをうけた会社がどんどん参加してきたんです。後からふらっと入ってきた会社が、凄い量の注文を取っていくのを見て、「なんだこれ!?」と驚きましたね。笑
「コンサルティング」って怪しい言葉だと思っていたのですが、こうやったらこうなるという、中川さんが立てた王道の建付けがちゃんとあるんですよね。aisomo cosomoはふわっとで始まりコップを展開していったのですが、それとは別にずっと作ってきたお椀のブランドをやりたいと言う思いがあって、中川さんにコンサルティングをお願いしようと思いました。
ーー「お椀や うちだ」が誕生するのですね。
中川さんには、ちゃんとやる決意があるのかを決めてほしいと言われて、プレゼンをしたり方向性を相談していき、お椀単品しか作らないブランド「お椀や うちだ」がスタートしました。
ブランドって難しくて。商品を見たときにパッとどこのブランドか分かるものでないといけないんです。
ブランディングはお客さんの頭の中で出来上がるので、いろんな商品があるとごちゃごちゃして駄目なんだなということに気づき、お椀だけのラインナップにこだわり、「お椀や うちだ」をつくり上げていきました。
「お椀やうちだ」というブランドは完成したのですが、ブランドというものは作って終わりではなく、次の展開を用意して、新作を展開して広げていくことが長く続くブランドなんです。色で魅せた「aisomo cosomo」と、お椀だけのラインナップにこだわってきた「お椀や うちだ」では新作への展開の難しさがあって次の展開へ進むということに悩んでいました。そんな中で、中川さんに相談していたところ、くまモンのデザインなどを手がけたgood design campanyの水野学さんを紹介していただき、新たにRIN&CO.というブランドを立ち上げいきました。
RIN&CO.のブランドの立ち上げには約1年の期間がかかったのですが、水野さんから漆琳堂の今の立ち位置や今後の目指すところについてなど、漆琳堂についてのヒアリングをして頂きました。今の状況やこれからのことを水野さんにアドバイスいただきながら進めていきましたね。
漆琳堂のブランドは、アート領域の「aisomocosomo」 から、工芸領域の「お椀やうちだ」ができ、デザイン領域の「RIN&CO.」へと展開してきました。
※次回へつづきます