【TSUGI-vol:1/5】落ちこぼれ高校生から、福井を代表するデザイン事務所を設立。

TSUGIは福井県鯖江市を拠点に活動する「地域特化型デザインスタジオ」。支える・作る・売る・醸すを軸に、グラフィックデザインをはじめ、商品開発、販路開拓までを一貫して行っている。

TSUGIという名前は「次」の時代に向けて、その土地の文化や技術を引き「継ぎ」、新たな関係性を「接ぐ」という思いが込められており、地域に何が大切で何が必要かという問いに対して、リサーチと実践を繰り返しながら、領域を横断し、これからの時代に向けた創造的な産地づくりを行っている。

代表の新山さんは1985年大阪府生まれ。大学生時代、鯖江市河和田地区で行われる地方創生プロジェクトである河和田アートキャンプに参加したことをきっかけに、2009年鯖江市に移住。株式会社応用芸術研究所にて3年間勤務された後、鯖江市役所へ入庁。在職中の2013年にTSUGIを結成され、2015年に法人化。未来の産地を醸成する様々なプロジェクトを展開される中で、ローカル分野で全国的に注目されるデザイン事務所へと成長させた。

新山さんがデザイナーやディレクターとして、得たものは何か、TSUGIはどのようなビジョンで経営されているのか、そこで働くスタッフはどのようなスタイルで働いているのか。新山さんが考える過去・現在・未来には、不確定な時代を切り開くヒントが散りばめられている。

 

落ちこぼれの高校時代

 

ーーまずは、新山さんご自身のことについてお聞かせください。

僕は大阪の吹田市にある、千里ニュータウンというところで生まれました。1970年代の住宅供給を満たすために作られた住宅地で、鯖江と違って歴史の無い場所でした。

子供の頃の記憶では、親から知らない人と話してはダメと言われていました。小学校の夏休みが明けると、1クラス分くらい引っ越してその分入ってくるような、転勤族が多くて出入りが激しい街だったので、危険に思っていたんだと思います。

そのまま千里ニュータウンで大きくなり、中学生のとき、あまりにも頭が悪すぎて「絶対に偏差値を15上げます!」というスパルタ学習塾に通うことになりました。中身が伴っていないのに無茶苦茶に詰め込まれて…。なんとか中の上くらいの進学校に入学することになりましたが、勉強するという習慣が無いので、めちゃくちゃに落ちこぼれました。

同級生たちがみんな良い大学に向かっていく中、進路をどうしようかと悩んでいるときに、担任の先生に「好きなものは無いのか?」と聞かれて、そのときなぜか「僕、模様替えが好きです」と答えたのを覚えています。

住んでいた場所柄、たまに高級な椅子などの家具が捨てられていたので、拾ってきて照明を当てながら、どうしたら美しく見えるかな…と研究する、ちょっと気持ち悪い高校生でした(笑)

ーー模様替えが今の新山さんに繋がっていくとは、驚きです。

その後先生から「建築を学ぶのが良いかもしれない」と、安藤忠雄さんの『連戦連敗』という本を渡されて、それに衝撃を受けました。彼自身は高卒のプロボクサーであり、世界的な建築家です。本を読んで、自分も建築がしたい…と考えました。

また今の仕事の片鱗でいうと、高校時代は生徒会長をしていました。マネジメントやプロデュースをする原体験になっていたと思います。

 

両親の死からの再起

 

母が高1、父が高3のときに亡くなりました。当時、弟は中学2年生。なんとしても弟を卒業させなければと思い、高校卒業後は1年間働いていました。

ーー大変なご経験をされたのですね。

なんで自分だけこんな目にあわなければならないんだという心情でした。周りの大人はみんな就職先を斡旋してくれましたが、自分の人生を後悔したくなかったので大学受験をすることに決めました。

浪人生活はすごく貴重な時間でした。友人たちはみんな大学に行っている中、自分は出鼻を挫かれたという思いから、図書館で頑張って本を読んで、入学時には多くの建築家の名前や作品を知っている状態になりました。

ーーその後、京都精華大学の建築学科に入学されたのですね。

浪人生活を経て、周りの環境が如何に大切かをひしひしと感じていたこともあり、入学後は「伝説の学年にしよう!」と、同級生たちとの仲間づくりを進めました。今も仲の良いメンバーと、『urbantrap』という有志の社会貢献デザイン団体を立ち上げて、活動をしていました。

1年生のとき、同級生が頻繁に「鯖江がーー」「アートキャンプがーー」という単語を口にしていて、鯖江って最近良く聞けど何だ?と不思議に思ったことがありました。「河和田アートキャンプ」を立ち上げた方が、建築学科で准教授をしていた片木さんだったので、片木さんに詳しく説明してもらうことで、徐々にその活動の面白さを感じ始めたんです。

その後、大学3年生のときに片木ゼミに入り、初めて鯖江を訪れ、4年生で初めてアートキャンプに参加しました。初参加でいきなり学生代表だったので、学生メンバーや地域住民など、周りの方々にサポートしてもらって、なんとかやりきることができました。

ーー鯖江ではどのようなことがありましたか?

それまで、大学で建築を学んではいましたが、「リアルなものづくり」についてちゃんと考えたことはありませんでした。鯖江に来て、漆器職人の工房を訪れて、現場を見たことで衝撃を受けました。地元の方々のコミュニケーションの密さに惹かれたりして、地域的に魅力を感じていました。

 

応用芸術研究所に入社

 

片木さんの影響はかなり大きかったです。建築家としてのハード面の業務と並行したソフト面についての考え方について、面白さを感じていたし、「関係性のインフラ」など、色んな言葉を生み出しながら物事を作っていく。これも、すごく建築だと思いました。ここから、「学問でもあり思想でもある建築」は他のことにも転用できるじゃないかと気づいたんです。

メモがあったから抜粋した、2008年くらいの自分の頭の中がこちらです。

ーーソフトな言葉が並んでいますね。

当時は、片木さんがやっていたことと、建物をどんどん立てるのではなくリノベーションやエリアマネジメントを手掛ける東京R不動産の動きが気になっていました。自分は卒業後、建築を仕事にしていくものだと疑いませんでしたが、2009年から、片木さんが経営する応用芸術研究所に入社し、河和田アートキャンプの事務局として鯖江に行くことになりました。これが「広義のデザイン」として面白いと直感的に思ったので、悩むことはありませんでしたね。

ーー新卒で鯖江に移住し、お仕事をスタートされてみていかがでしたか?

最初は結構しんどかったです。理由は、自分の「やりたい」という強い気持ちと、能力が伴っていないこと。応用芸術・大学生·市役所·地域を上手にプロジェクトマネージャーとしてコーディネートしなければいけませんでしたが、みんなの主張が違いすぎて、上手に回せなかったんです。あと、同世代の友人がいなかったことや自動車免許を持っていなかったことも辛かったですね。

でも、自分の中では絶対に最先端の建築デザインをやっているという気持ちで、モチベーションを維持して頑張っていました。このときの経験や学びが無かったら今のTSUGIは無かったなと思います。

ーー下積み時代として、良い経験をされたのですね。

アートキャンプも重要でしたが、応用芸術研究所の業務として行った「産業リサーチ」が自分のターニングポイントになりました。

漆器組合に所属する職人工房100箇所に、足を使ってインタビューをしたのですが、ネガティブな方が多かったのが印象的でした。しかしヤマト工芸の高野社長など、面白い大人もたくさんいた。「この町は頭がおかしくなったんや!」と、バブル時代に成功した体験から逃れられない執着を悲しみつつも、本来、河和田のスピリットは時代に合わせたものづくりをしてきたこと。そこを取り戻したいと言われていたことが印象的でした。

消費地である首都圏のリサーチも行いました。足を運んでみたら、「越前漆器を探せゲーム」の如く、全然売ってなかった。そのときに、自分の中に悔しさが芽生えました。

「地域活性化」や「まちづくり」をするために鯖江に来たつもりでしたが、このまちが元気になるためには、基幹産業である「ものづくり」が元気にならないと無理だと気づき、そのためには絶対に「デザイン」が必要だと思ったからです。

富山の能作さんや輪島のキリモトさんなど、活躍するメーカーはありますが、越前漆器との違いは何か、やっぱり時代に合っていないデザインだろうと。

鯖江に住む中で地域の方々に可愛がってもらったし、彼らのために何ができるかと想像したときに、自分がデザイナーになって貢献することが、産業の活性化になるのではと考えました。

ーートップランナーと比較することで、デザインの重要性に気づかれたのですね。

その後、2012年に鯖江市役所に入庁したことで、市全体を見渡すことができました。

 

TSUGIの立ち上げ

 

市役所勤務の間は、「自分には何ができるんだろう」と考える時間になりました。デザイナーなのに市役所で働いていて良いのかと、悩む時間も。そんなとき、当時の牧野市長に言われたのが「市役所は最大のサービス業だ。その中にデザイン課が無いこと自体がおかしい」と。その言葉で視点が変わり、嘱託職員デザイナーとして頑張ろうと思いました。めがねをPRするためのwebサイトやつつじバスの時刻表、他にも細かいデザインを担当しながら、3年間働きました。

徐々に河和田アートキャンプを通じて同世代が鯖江市に移住をはじめ、若手の飲み会ができるようになりました。彼らの意見を聞いていると、「仕事は楽しいけど不安もある。職人として一人前になるには10年かかると言われているが、果たして10年後にこのまちに産業はどのくらい残っているのか」と不安がっていました。

帝国データバンクを見ていると、鯖江の会社はどんどん倒産しています。なんとか産業を盛り上げたいが、一人でやれることはたかが知れています。そこで、河和田アートキャンプの出身者を中心に、2013年にTSUGIという移住者若手グループを結成しました。

それぞれ仕事をしながら、夜や休日にDIYをして拠点を作っていきました。福井中に僕たちのように悶々としている同世代がいるはずだという予測から、「仲間づくりをしよう」とデザイナーなどを呼んでトークイベントをやったり、ものづくりのワークショップをやったり。それがハマって、同じ想いを持った人がどんどん集まってきた。

そうして2年くらい活動をした後、TSUGIを法人化しました。

 

※次回に続きます。

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