【越前隊-vol.2/5】知名度ゼロからのスタート。商品開発から出店まで。

他に無いものが欲しいと言われたけれど。

 

――今年で創業6年目ということですが、現在主力にされている「山うに」の商品開発はどのようなスタートだったのでしょうか?

山うには、河和田地区の各家庭で伝承されてきた薬味で、現在は4〜50軒の家庭でしか作られておらず、数百人程にしか知られていないものでした。鯖江での認知度はほぼゼロに近い状態で、山うにの話をしても「植物ですか?」とか「食べ方が分からない。」という反応ばかりでした。

何なのかわからない商品は業者さんも取り扱いにくいですよね。知っている人がほぼゼロだったところが、山うに事業を進めていく上で一番難しかったことです。

商品化して、一番初めに取り扱っていただいたところは「道の駅 西山公園」だったのですが、やっぱり最初は「なんだこれ?」という反応でした。ですので、山うにが何なのかを伝えるところからスタートしました。

――アパレル経営をされていたときと、どんなところが違いますか?

全然違いますね。アパレルのセレクトショップ経営は既に有名になっているブランドを集めればいいんですそれに対して、山うには唯一無二の商材なので、有名になれば強いのですが、有名になるという保証は無いんですよね。

――市場に無いものの開発は難しいのですね。

みんな口を揃えて「他に無いものが欲しい」と言うのですが、額面通り実際に他に無いものを持っていくと、なかなか受け入れてもらえませんでした。へこたれず頑張った結果、最近では山うにの知名度も上がり、広まってきたので営業もしやすくなってきました。

知っていただけると、面白がってくれるんです。ANAのファーストクラスやミシュランで使っていただいたので「あそこが使っているならウチも使ってみよう!」と思ってもらえたらいいなと、戦略的に営業をしていきました。

――山うにの開発では、どのようなことが大変でしたか?

何から何まで自分でやらないといけなかったことが大変でしたね。
まずは山うにのレシピを集めようと河和田の人に聞いて回ると、「レシピなんてない」と言われました。どの家庭も「塩の量はこんな感じかな」と目分量で作っているので、家によって味が違うのはもちろん、同じ家庭でも去年と今年と来年の味が微妙に違うんです。そんな状態だったので、最終的に越前隊の山うには『自分が食べたい味』を目指してレシピ開発をしました。

山うにの価格設定を考えたときも、アパレルの値付けについては分かっていましたが、山うには他に価格を比べるものがなく、未知のものでした。当時は商品パッケージの作り方や賞味期限の付け方すらもわからなくて、「賞味期限って僕が決めるんですか?」と聞いてしまって笑われました。

本当に何から何まで分からないことばかりで、販売先も無かったので大変でしたが、「これはいける!」という変な嗅覚と自信はずっと持っていましたね。

2018年は色々と動き始めた年でした。
当初は、ほやっ停や山うにたこやきのイベント出店を重ねて、山うにを味わってもらう試食的な感じで広めていこうとしてきました。併せて、実際に山うにを直接販売していこうと試行錯誤していましたが、冷蔵では賞味期限が早く、東京から来たお客様が鯖江から持ち帰るのはなかなか厳しいという問題が出てきたので、常温で保存できる瓶詰め商品を作って売っていこうと決めました。

正確な賞味期限を付けるには460日間くらいの測定期間が必要だったので、完成までに2年かかりましたが、2019年12月についに完成。これまでの積み重ねもあり、すごく売れました。

この頃から、山うにを全国に広げるという視点に変わっていきました。ただ、これからだ!というときに、コロナの感染拡大が進み、とても痛い状況でした…。

実は、僕は昔からそういうことが結構あるんです(笑)

例えば、ローソン・鯖江市役所JK課・越前隊のコラボでおにぎりを販売する企画があって、7ヶ月くらいかけて試作をして商品化しました。でも、販売開始1週間で福井が大雪になって物流が止まり、製造スケジュールの都合でそれ以降発送出来なくなってしまったとか…。

他にも福井国体のときには、県外からたくさんの方が集まる最高の舞台だと思い、やるぞ!と意気込んでいたのですが、開会式も大雨でその後も台風が来たりして、全然出店が出来なかったりとか。

よく麦は踏まれて大きくなると言いますが、さすがに踏まれすぎやろと思いますね(笑)

 

※次回に続く

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