【越前隊-vol.3/5】山うにたこ焼き誕生。全国に広めるために。

山うにが苦手だった

 

――山うにとたこ焼きの組み合わせになったきっかけはありますか?

僕は子どもの頃、山うにが苦手でした。おばあちゃんの家に遊びに行くと、ご飯で絶対にでてくるんですよ。蕎麦に乗っていたりしたのですが、ぐにゅぐにゅ感と色が嫌いでした。

山うにを広げようとしているけど、自分と同じような子どもがいたら、絶対食べないじゃんと思ったんです。だったら子どもにも食べてもらえるように、子どもの好きなものに入れたいと思いました。初めは子どもの好きなハンバーグとかカレーに入れたりして山うにに合う食べ物を探していたんです。

ある時、たこ焼きパーティーをした時に山うにをちょっとつけてみたら「うめぇ!」となりました。いろいろ試した中でたこ焼きが一番うまかったんですよね。今は生地に山うにを混ぜていますが最初は明石焼きのような感じでスープに混ぜていました。

たこ焼きが合うと気づいたときは、まだ販売用の山うにの製造には至っていませんでした。
そのときは、山うにを沢山の人に知って欲しいと思っていただけで、まだ商材にようと考えていなかったので。でも、山うにたこ焼きは本当においしくて、「これはいける」と思っていたので、自宅に本拠地を作りました。山うに自体が広まるのは遅くても、たこ焼きと一緒なら商売にはなるんじゃないかと思いました。

 

山うにを知ってほしい。全国に届ける戦略とは

 

――たこ焼き以外でもメニューを考えていましたか?

元々山うにソフトもやっていました。
アパレル時代に過ごした富山に人脈が多かったので、その繋がりで山うにジェラートを100個単位で作ってもらっていました。鯖江でやっていく中で、福井の人脈も増えていき、県外でやってもらうのをやめました。

南条にコウタロウアイスというアイス屋さんがあり、蓮アイスをを作っている方と出会い、山うにソフトを作ってもらうようになりました。めっちゃうまいと好評でしたが機械の電力が足りず、ストップしました。

山うに蕎麦や、山うに豆などの商品もあります。河和田に、「山うにの里 ほやっ停」がオープンしてからは山うにラーメンをやっています。

――たこ焼きとラーメンが一緒に売られているのは珍しいですが、山うにという商材を通じてというのが面白いですね。これからもメニューが増えて展開されていくのですか?

それはあまり考えていないです。山うにを全国に届けていくというのが、僕らのやるべきことだと考えているので。
たこ焼きやラーメンなどのメニューを作っているのは「こうやって食べても美味しいですよ」と山うにの味を広めるためにやっています。

今ではラーメン屋さん3~4店舗で買ってもらって、ラーメンと一緒に山うにを提供してくださっています。
徐々に山うにが広まってきて国内各地の温泉旅館でも使っていただいています。

 

たこ焼きは一つのコンテンツ。やっていった先になにがあるのか。

 

山うにたこ焼きのお店「ほやっ停」が、2017年に鯖江駅にある久保田酒店の前でオープンしました。電車に乗って県外から来た方に向けて、日本酒と山うにの薬味を組み合わせて何かできないかという話から始まりました。

最初は半年間だけやるという予定でした。そのときは他の仕事もしていたので、朝から夜遅くまで働き続けるのは怖いなと思い、期間限定なら…という思いでスタートしました。

お客さんや周りからの反応も良く、越前隊としてもお店を持てたことが良い経験になったので、このまま継続して営業していった方が良くないか?という話になり、延長することになりました。しかし、ずっと自分自身がお店に立っていたら、越前隊の他の事業が進められないと思い、自分はお店からは離れるなど徐々にやり方を変えていきました。

 

山うにづくりの背景にもこだわって

 

――山うにの材料なども作られているのですか?

山うにの材料は、赤なんばと呼ばれている赤万願寺唐辛子と柚子と塩なのですが、赤なんばは耕作放棄地で作っています。柚子も将来は取り組みたいと思っています。

――耕作放棄地の活用はどのように行っているのですか?

河和田にある土地を使っているのですが、農家さんにお願いをして米を作ってもらっていたけど、もうやめてしまった土地というのが何か所か空いていて、そういう土地をお借りして赤なんばを作っています。畑をやっていると、いろんな方が見ておられて、うちの土地も使ってほしい!と空いている畑が集まってきました。2021年は3,500坪使用していますが、2022年からは倍になります。

土地はあるので、コロナになっていなければ、もっと広げていったり、作り手をお願い出来ていたと思うのですが、なかなかうまく比例はしていかないですね。今は存続が最優先になっています。

生産量の問題もありますが、うちは農薬や除草剤は一切使わず作っています。いきなり100%自然のものは量が取れないからできないのですが、3年くらい続けて種を強くしているところです。

――農業をやるのは初めてですよね?

そうです。
赤なんばは連作ができないので、難しいところなんです。土地はたくさんあったほうがいいのですが、今いるスタッフだけでやっていくのは相当大変です。研究も必要ですし、常に水やり、草刈りもしないといけないのでもう少し人手が欲しいです。

観光事業として農業体験をしたこともあります。
その時は、赤なんばの苗植え体験をして16人来てくれました。
福井市の親子や、大阪から福井に移住して農業が気になるから参加したという方や、子供に農業を体験させたいという親御さんなど。これからは畑の開墾なども体験してほしいと思っています。

――山うにづくりもされているのですか?

山うにの加工作業は障がい者施設にお願いしています。
今まで、働いている方達は、会話もなくもくもくとシール貼りなど、単純作業をされていたようですが、山うにの加工作業をし始めてから、「これをやったら、鯖江が元気になるんやなあ」と話題が生れて明るくなり、いきいきし始めたと教えてもらいました。作るための準備や段取りも自分でできるようになったという話を聞いています。

障がい者だからといって単純な仕事でいいかというとそうではないと思っていて、一人一人が輝ける場所が大事だと思います。

山うにを作ることで、様々なところが動き出し、土地も、人も輝き始めています。

 

※次回に続く

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です