【越前隊-vol:1/5】地元のために始めた越前隊。設立までの経緯、思いを語る。

福井県鯖江市河和田地区。ここは人口4000人ほどの地域で、約1,500年の歴史を持つ伝統工芸越前漆器や鯖江市の基幹産業である眼鏡作りなど、ものづくりが盛んな地域です。越前隊はこの河和田地区で、「ふるさとを盛り上げたい」という思いから結成され、「ゆず」「鷹の爪」「赤なんば(完熟ししとう)」「塩」を丁寧に擦り込み練り上げた、福井県・河和田に300年以上続く伝統的な薬味「山うに」をはじめとする食文化を、多くの方に届けられています。

1979年生まれの関和宏さん。河和田出身の関さんは、地元の高校を卒業後、自衛隊に入隊。その後アパレルショップ経営を経験された後、地元の河和田に戻り、株式会社越前隊を立ち上げられました。

この第一回目では、河和田に戻ってきたきっかけから、越前隊の誕生までのお話を伺いました。

 

地元よりもアメリカンカジュアルを見ていた20代前半。

 

――まずは関さんのことについてお話しください。

河和田地区に生まれ育ち、高校卒業後は自衛隊に3年間勤務していました。自衛隊にいる間、もともと興味のあったアパレルを仕事にしてみたいと興味を持ち始め、自衛隊を退職して富山県でアパレル業を開業しました。

――いきなり開業されたのですか?

はい。自衛隊は、体力勝負な分、実は自由な時間が多いんです。17時に仕事が終わるとフリーになるので、その時間を使ってイラストレーターというソフトで、オリジナルの服やワッペンを作成していました。作成した商品は、新規者が気軽に出店できる「チャレンジショップ」という制度を使って、販売を始めました。石川県などでも出店していましたが、富山県の反応が一番良かったので、富山県で開業することになりました。
その後、26歳のときに福井でもやろうという事で地元に帰り、越前市にあるショッピングセンター「シピィ」で出店を始めました。金沢市にあるファッションビルの金沢フォーラスでも出店してほしいという声をかけていただいたりしていて、順調に拡大していきました。


アパレル時代の関さん(右)

金沢フォーラスは出店する機会をいただけましたが、担当者と話を進めていくと、石川県の知り合いの方の仕事を潰すことになってしまうと気付き、出店はしませんでした。
金沢への出店をしなかったことを機に、武生商工会議所に入会することにしました。武生商工会議所では様々な人に出会い、お話を聞く機会ができました。金沢のフォーラスの話を進めていたときに、人の仕事を潰してまで自分が儲けるということが、あほらしくなっていたのですが、様々な人の話を聞いていく中で、やっぱり僕の考えは間違っていなかったと確信しました。

 

変化に気づき、地元を盛り上げたくて。

 

――なぜ地元の河和田を盛り上げていこうと思ったのですか?

子どもが保育園から小学校へ上がるときに、子どもたちと一緒に近所のラジオ体操の練習に行ったんですが、その日は参加していた小学生がたった3人しかいなかったんです。私が小学生のときは各学年5~6人いて、ラジオ体操に3〜40人は来ていたのですが…。

そのときに「この状況はやばい!」と思いました。そこから、地元のことが気になりなんとかせねばと考え、まずは地元の産業である越前漆器を盛り上げることが、地元の活性化につながるのではと考えるようになっていきました。

――初めから山うにではなかったのですね。

そうですね。初めから山うにのアイデアは出てこなかったんです。越前漆器を盛り上げることを、僕の目線で出来ればと思っていました。職人さんでは気づかないことも、アパレルの知識や人脈を入れれば新しい何かが生まれるんじゃないかと思って。土日や休日には職人さんに漆器のことなどを教えてもらい、最初に「漆塗りの将棋盤」を作ることにしました。

でも実際に将棋盤を作り始めたら、漆を乾かすのに3カ月くらい時間が必要と言われて、急にふと時間が出来たんです。この時間をどう過ごそうかなと思いながら、鯖江市から助成金を頂いていたので、途中経過の報告をしに鯖江市役所へ行きました。その時に「鯖江は食が弱いから、何かできないかと考えている」という話を聞いたんです。

当時は、私のいとこと友人の3人で河和田の地域のや漆塗りの将棋盤のことなどを一緒に考えて活動していたのですが、いとこが「食なら、おばあちゃんがつくっていた山うにじゃない?」と言い出したんです。

3人とも小さいときから当然のように山うにを食べて育ったので、「やろうぜ!」と意気投合しました。そのときは、まだ本業としてアパレルをしていたので、とりあえず漆を乾かしている3ヶ月間だけやろうと思っていました。

 

福井から「ともに勝つ」ために。

 

越前隊という会社をつくったのは、「地域の現状を知って衝撃を受けたから」ですので、漆器制作や地域のことも山うにのことも、並行してやっていきたいと考えています。

――越前隊という名前の由来は何ですか?

僕は坂本龍馬が大好きなんです。
坂本龍馬が中心となって結成した組織「海援隊」ってありますよね。私設海軍、貿易会社としての活動が評価されていますが、海から支援する隊で「海援隊」というネーミングです。

じゃあ僕は、越前から日本を支援していきたいと思い「福井から日本を支援し、社会に貢献する」という会社の理念が決まり、そこから「越前隊」という会社名になりました。

これはアパレル時代に学んだことですが、僕は自分が成功するために誰かを犠牲にするのは嫌なんです。海援隊を結成した坂本龍馬が、薩摩藩と長州藩の関係を仲介して、薩長同盟を結んだように、私も「ともに勝つ」ということを大切にして取り組んでいます。

――山うにはスタートラインに過ぎないということですね。どのような取り組みをされていますか?

福井を活性化して日本を支援したいという思いがあるので、まずは山うに事業から発展させていきたいと考えて、事業を進めています。拡大することで、食や農業、産業にイノベーリョンが起きて、地域の魅力をつたえることができる大きな意味のあるものになると思いました。それが自分の中での活力にもなっていますし、今では地域の繋がり、世代を超えた繋がりもあります。すごく大変ですが、やりがいを感じています。

山うにたこ焼きを通して山うにを味わってもらい情報発信をしてきたので、私のことをたこ焼き屋さんだと思っている人も多いと思います。

でも、たこ焼きは一つのコンテンツに過ぎないと思っていて、山うに産業から地域の魅力発信として観光体験や教育、人口減少対策、地場産業との連携など、この地域の課題解決を進めながら、一人一人が輝ける場所ができることが大切だと考えています。

 

※次回に続く

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