プラスジャック | 少数精鋭の環境でこだわったものづくりを。めがね素材を使った「問題解決の仕事」がここに。

自分はめがね職人だと、胸を張って言える人を増やしたいんですよね。

もしも社員が、将来独立しても応援したいし、外注先になってお互良い関係でいられたら嬉しいです。」

理想はそうだとしても、それを納得した形で実現するのはとても難しいこと。しかし、津田社長は心の底からそう思っているんだな…と話を聞いて感じ、胸が熱くなりました。

めがねフレーム制作は鯖江が世界に誇る技術。「目がよく見えるようになることで、一人の人生を変えることもある」という鯖江のものづくりの根本を大切にし、世界に誇る技術を持った職人を生み出す会社があります。

パーツを作る会社から自社ブランドを作る会社へ転換し、めがねづくりの根本を探る。

北陸自動車道鯖江インターから車で10分。村田製作所や日華化学など、大きな工場が立ち並ぶエリアの一角にプラスジャック株式会社はあります。

創業は1988年。アセテート素材をメインに、めがねだけでなくアクセサリーや防犯グッズなどの雑貨を社内一貫生産で手がけてきた会社です。

木目調の玄関から中に入ると、白を基調とした明るいショールーム兼会議スペースがあり、扉を開けると建物の外観からは想像できない奥行きで、機械がずらりと並ぶ製造現場があります。

今回お話を伺うのは代表の津田功順(つだ・こうじゅん)さんと、入社半年の久保葉月(くぼ・はづき)さん。久保さんはまだ入社半年とのことですが、すっかり溶け込んでいる様子を見ると、職場の雰囲気の良さが伝わってきます。

津田「プラスジャックは祖父の代に、めがねのパーツを作る会社として創業しました。私は学校を卒業後、京都で建築設備の施工の仕事を10年ほどしていましたが、親に戻ってこいと言われて鯖江に戻り、事業の継承をする準備を始めました。しかし蓋を開けてみると、生産体制が大量生産から多品種小ロット生産に変化していて、会社として経営自体がかなり厳しい状態になっていました。

大転換期だったと話す津田さん。会社をたたむか、改革するかの2択をいきなり叩きつけられ、改革することを選びました。

津田「まず作業効率を上げるためマシンを導入して、6人の担当者がいた工程を機械だけで出来る状態を作りました。その後、工程ごとに原価計算を行い、どこに粗利があるのかを割り出していったんですが、その結果どこにも粗利が無いことが判明したんです。効率化を進めていったんですが、どうにも割に合わない。これではダメだと、利益を生むためには最終製品を作らなければならないという結論から、自社ブランドを作り始めました。

業務内容を大幅に変更したため、もう付いていけないというスタッフには、泣く泣く辞めていただいた…と話す津田さん。当時の危機的状況がどのようなものだったのかが覗えます。

津田「粗利を確保するため、大きな決断をしました。取引先に、部品の製造単価を上げるか、仕事を辞めさせてもらうかを交渉したところ、43社の中で、2社だけが上げても良いから頑張ってくれと言ってくれました。そこは今でも付き合いがありますが、他の会社はどこかへ行ってしまいました。この改革が成功するかどうかなんて全く分かりませんでしたね。作れば作るほど赤字でしたが、やるしかありませんでした。」

社員全員に会社の現状を説明したとき、津田さんは全員辞めるのでは…と思っていたそうですが、中には涙を流して付いて来てくれる方もいたそうです。そして、痛みを伴う業務改善を繰り返しながら、プラスジャックは今に至ります。

津田「社内での一貫生産体制を進めていったので設備は充実し、粗利も増えていきました。現在は、この体制ならいける!と手応えを感じていて、ラインを増やし、販売や商品開発についても急ピッチで進めています。今後は、徐々に人を増やして利益を伸ばしていきたいと思っています。

経営を立て直し、会社を軌道に乗せてきた津田さん。順調に見えますが、最初に自社ブランドの商品を作るときはすごく悩んだ時期があったと話します。根本的な土台が無いと、このままでは会社の理念も社風も生まれないと考え、まずめがねの歴史を詳しく調べたそうです。

 

津田「鯖江でめがねが始まった理由は、増永五左衛門さんが、農閑期の仕事として、めがねを始めたと言われていますが、僕は、その始まった理由がすごく好きなんです。

増永さんが鯖江に持ち込んだ産業は十数個もあり、何をやっても失敗。実は、最後の最後が「めがね」だったそうです。めがねは、すごく細かい作業なので、増永さんは製造を宮大工にお願いしましたが、「増永さん、何十個も失敗しているあなたには誰も付いていきませんよ」と断られたそうなんです。

その宮大工さんには娘さんがおられ、文字の書き写しができず、学校の先生からは「知恵遅れだから、もう学校に来させないでください」と言われ、いじめの対象にもなったそうです。それを見ていた増永は「この子は目が悪いのではないか」と気付き、めがねを取り寄せて、その娘さんにかけてあげたら、大粒の涙を流して、『お母さんとお父さんの顔が見える』と言ったらしいんです。当時、目が悪いのはお年寄りだけで、若い人は目が悪くなるわけがないと考えられていた為、発見が遅れたんですね。

そして、その宮大工さんが増永五左衛門に、『わかりました、めがね作りをやりましょう』と言ったのが、鯖江のめがねのはじまりだと言われています。このエピソードから、鯖江のめがねづくりの根本は、モノだけでなく、ひとりの人生を変えるような、コトも一緒にあるのだと気付きました。

人を助けるというところから始まった、ものづくりスピリッツが、鯖江を世界の3大産地まで持ち上げたのではと話す津田さん。そういう気持ちを大切にしながら、ものづくりをしていきたいということが、プラスジャックの根本にあるのだとか。

女性が働きやすい職場を目指して。改善を続けて生産性を上げていく。

現在、6名が働いているプラスジャックですが、半年前に女性スタッフが入りました。福井出身で24歳の久保葉月(くぼ・はづき)さんは、大学を卒業したあと、京都のメーカーで品質管理の仕事に従事した後、福井に戻ってきてプラスジャックに入社しました。大学では化学を学んでおられ「工業用の物質を環境に戻すときに、いかに環境に配慮した戻し方ができるか」というテーマで研究をしておられました。

久保「まだ半年なので全て習っている段階ですが、図面を描いて、その図面に沿って切削加工をしています。他に出荷業務などをベースに仕事をしています。」

津田「うちに入ってくる人は、1から10まで全部覚えて貰おうと思っています。鯖江のめがね屋は、昔のプラスジャックも含めて分業の工程にプロフェッショナルとして携わることが多いんですが、そうすると他人に任せられず、仕事を休み難くなるんです。会社だけで人生が終わるのは嫌なので、全工程ができて、休みたいときに気軽に休めるような会社にしていきたいんです。

一つの工程しか担当していないと不良箇所があっても何が悪いのかが分からないけれど、全体を見通せると問題を判断できるようになるそうです。また、お客様にとってもレンスポンスが良くなるため、喜ばれるのだとか。

久保「覚えることが多い分、余裕は無いですね(笑)。上司から「やってみて!」と、色んなことが消化出来ないくらいの量で飛んできます。ひたすら毎日を頑張るという感じで、気持ちの余裕がまだ作れていません。ただ最近は、半年間やってきて慣れてきた仕事もありますし、周りを見て習得するようにしています。見て分からないものは、聞いて確実にこなしていこうという感じです。」

週に、初めての仕事をいくつもこなしている久保さんに、たくさんあるめがねの会社の中で、なぜプラスジャックを選ばれたのかを聞いてみました。

久保「他にも何社か受けていて、製造業には男性しかいないとか女性用トイレが無いという会社もあるので、まずそれを確認しようと製造現場を見学していました。その中で、この会社は連絡してから実際に見学に行くまでの対応が早く、社内も綺麗で、良さそうだなと思いました。社長の持つ気持ちや理念に共感しましたし、自分が女性だからこそ出産などで働けない時期があることも含めて、ここに懸けても良いと思える将来性を感じて入社を決めました。

津田「久保さんは、なんでも話してくれる性格が良かったんです。会社を変えていこうという流れの中で、すごく合っていると思いまいた。ずっと求人を出していなかったんですが、GWに求人を出してタイミング良く連絡があったので、来るべくして来た!と思いました。」

久保「タイミングが良かったこともあって期待値が高くて大変です(笑)」

「言いたいこと話して良いですか?」と本音で話す久保さんとそれを見守る津田さん。男性3名・女性3名の社内は、みんな仲が良いというのも、この二人の掛け合いを見ていると頷けます。

津田「今後は女性を採用したいので、休みやすい環境を作っています。久保さんには覚えてもらったことを今マニュアル化してもらっていて、プラスジャックの教科書を作りたいと思っています。結婚や出産で退社しても、新しい人に教えられるような体制の会社にしていきたいんです。」

久保「社長にはマニュアルと併せて、働きやすい作業改革をしていってほしいと言われています。慌てても不良が増えるだけなので、余裕を持てるように。大きく変えることは社長しかできませんが、社内でできることはみんなで発見していきたいと思っています。

120%の力で働いてもずっとは続かないと、社内で工夫しながら生産性を上げて、会社が成長できる環境を作っておられる津田社長。辛い時期を乗り越え、プラスジャックはさらなる成長を遂げようとしています。

めがねのセミオーダーを実現することで困っている人を助けたい。「人助け」が軸にある会社でありたい。

津田さんがご自身でDIYされたショールーム。

やりたいことがたくさんあると話す津田さん。2023年に予定されている北陸新幹線の敦賀延伸開業に向けて、この場所をショップやワークショップスペースとしてオープンに出来るよう準備されています。特に肝いりで準備されているのは、めがねのセミオーダーの仕組みなんだとか。

津田お客様の顔の形に合ったセミオーダーめがねが作れるよう、しっかりと仕組み構築をしていきたいと思っています。フルオーダーはよくあるんですが、セミオーダーはほぼありません。鯖江では、1つのモデルに対してS・M・Lと3サイズ作っていたんですが、量販店が入ってきて一番売れるMサイズのみを販売し始めたため、徐々に売れないSとLは鯖江も作らなくなってしまいました。顔の小さい人・大きい人用のめがねが無くて困っている方がいる現状を解決したいと思っています。」

また、2時間の待ち時間でレンズまで入れた完成品を渡せるようにしたいと話す津田さん。観光客が周囲に滞在する時間内で引き渡しできる産地を目指したいと夢を語ります。

鯖江の根源である人助けのためのめがね。そのコンセプトからブレない津田さんの強さを感じました。このアイデアは、めがねミュージアムに来たお客様から「大きい顔の人用のめがねが無くて困っている」という相談をきかっけにスタートしたそうです。

防災ツール「effe」は、グッドデザイン賞を受賞した。

津田「販売ラインも強化していきたいので人を増やそうと思っているのですが、ものづくりが好きで、完成品を1から10まで自分で作れるようになりたい方に来てもらいたいです。そして、感動する話を聞いたときにすぐに涙を流せるような素直な方は、なんでも吸収できると思うので向いていると思います。」

久保「社長が申し上げた通り、自分でこうしたいからこうしますと現場を変えていかなければならないので、自分の環境を作れる人が向いていると思います。コミュニケーションは苦手でも、疑問があれば質問を投げかけてくれて、行動できることが大切ですね。」

「1から10まで仕事が出来るようになると、独立する可能性がある人も増えてくるのでは?」と津田さんに聞くと、「辞めるなら全部覚えてから辞めて欲しい。」という津田さんに、増永五左衛門イズムを感じました。

兄貴気質の津田さんが作られるプラスジャックのカルチャー、今後どうなっていくのか楽しみで仕方ありません。

久保さんのように「共感した」という方は、ぜひ連絡をしてみてください。

【連絡先】
プラスジャック株式会社
0778-53-1885
info@plusjack.com

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