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ろくろ舎 | これまでの職人とは違う道を選ぶ。酒井義夫が選んだハイリスクな人生とは。

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「基本的に僕は、普通の勤め人は無理だろうなと思っていましたし、独立心が強いタイプなので、いつかは『自分でやる』ということを前提に仕事を選んでいたと思います。

普通1年間くらいの修行期間だけでは仕事としてやっていけるわけがないんですが、今の工房が手に入ったり、ろくろ(木材を回転させるための機械のこと)が安くで手に入ったりしたので、場所ありきで独立して始めたんです。」

お金を稼ぐために働いていたというよりも、手に職を付けるために時間を使っていたので、準備が整う前に環境の方から、色々と歩み寄ってきたので、奥様に保証人になってもらい借金を抱えてのスタート。そして、最初は仕事なんかあるはずも無く、どんどん手元のお金は減っていく…。

それでも自分なりの立ち位置を模索し、インパクトのある商品を生み出し続ける。ハイリスクにあえて挑戦する。結果、それが一番のリスクヘッジだったりするのかもしれません……。そんな山あり谷ありの人生も楽しいと、挑戦する全ての人の生き方を肯定してくれるストーリーを語っていただきました。

 

紆余曲折あり独立。その後、代表作を引っさげて大きな入賞を果たした背景とは。

 

 

ろくろ舎の酒井義夫(さかい・よしお)さんは、北海道生まれの39歳。2006年に河和田に移住されてから、いろいろなお仕事を経て2014年に現在のろくろ舎を立ち上げました。

「ずっと各地をフラフラしていたんですが、河和田に来て2006年~2008年に木工メーカーで働いて、その後フランスパン屋に2年半勤めました。パン屋を辞めて工場で働きながら、同時に木地師の清水正義さんに弟子入りして、最初は週に1回通い始めました。木地職人に後継者がいるぞと噂になってしまって、いろいろあって2013年頃からうるしの里会館の職人工房で見習いを始めて、2014年にろくろ舎立ち上げました。」

河和田に来られたきっかけは、東京で働きながらバンタンデザインスクールで学んでいた家具デザインの先生が、その後就職する木工所の上司になる方と友人だったのだとか。 ちょうどその就職先が忙しくなる時期で全国から職人を募集していた時期だったのもあり、内定が決まりまったそうです。

「飛騨高山とかも就活で行ったんですが、職業訓練校とかに行った即戦力じゃないと、余裕が無いから雇えないと断られてしまうんです。でもその木工所は技術が無くても大丈夫ということで、入れていただくことができました。」

多くの仕事を経験される中で、徐々に独立への準備を進める酒井さん。ろくろ舎がスタートするまでにはどのような経緯があったのでしょうか。

「H木工所はクビになって、パン屋も社長と喧嘩をして辞めて、彼女とご両親もその状況を知っていて。君は普通の会社員はダメだから、もう自分でやるしかないねという流れになっていったんです。現在の工房がある場所が候補にあがったとき、元職場の近くなので最初は気不味いなと思いましたが、建物の持つパワーが気に入ったのでここに決めました。普通こんな近くでやらないですよね(笑)」

ろくろ舎がスタートした後、仕事をしながら石川県加賀市にある挽物(ひきもの)轆轤(ろくろ)技術研修所にも通い、並行して修行をされていた酒井さん。2年コースのところ、途中で忙しくなり1年半で研修を終えられたそうです。その間、どのようにしてご自身の仕事を作ってこられたのでしょうか。

「嫁のご両親も職人なので、『量産できる体制を整えなさい』『問屋に頭を下げて仕事を貰いなさい』と最初は言われましたが、『それをやってたからみんな潰れたんじゃないの?』と思っていたので、自分は確実にこれでいける!といった明確なビジョンはありませんでしたが、義父の助言の通りにはしませんでした。」

師匠の清水さんにもお椀はもうダメだと言われていたという酒井さん。教わっていたときも時期によって仕事量の幅が大きく、これでは暮らせないと思い、色々やってみて違う方向を探ろうと考えておられたそうです。

「どんな風に仕事をやっていこうかと考えていたときに、TSUGIの新山くんにディスカッションのパートナーになってもらい、夜な夜なかなりの時間をかけて話し合っていて、多くの業種から仕事を取ってこれる、デザインが分かる職人になるという『立ち位置』を決めたんです。そして看板を作って、自社商品を展示会に出していこうという方向性を考えました。」

自社商品とは、ろくろ舎初期の代表作「Timber Pot」のこと。土に還ることをコンセプトに、杉の間伐材を丸太の状態から削り出して作られた、経年変化が楽しめる鉢植えです。そもそも河和田にたくさんあるお椀を作るつもりはなかったと話す酒井さん。これ以上増やす必要もないので、違うものにしようと考えておられたそうです。Timber Potがどのようにして生まれたのか、聞いてみました。

「僕の地元にはヒッピーというかナチュラル志向の友人が多くて、バックパッカーをしていたり、環境を語る人が多かったんですね。当然僕も感化される部分があり、山の自然形態にも興味がありました。河和田の山を見たときに、『上まで徹底的に杉じゃん』そりゃ土砂崩れも起きるわと思いました。豪雨災害後もその後も風景は変わっていないし、でも、手を付けられない理由もわかるんです。」

そんな山に囲まれた河和田で暮らす中で、この3つの状況がヒントになったと話します。

  1. 間伐材を使いたい
  2. 漆器の製品で杉を使ったものは殆ど無い
  3. 目の前の製材所に杉の木が転がっている

「あと世の中にあるものは、買った瞬間から価値が落ちていくものが多いんです。足が早いというか。でもデニムとか革とか、経年変化で変わっていく美しさや味が出てくるものが自分はけっこう好きなので、変わっていくものが作れたらいいなと思いました。朽ちていくものって良いなと。徐々に朽ちていく中で育っていくという鉢植えのアイデアが固まっていきました。テクニカルに考えたものではなく、これまで生きてきた集大成として考えついたプロダクトだと思います。」

2014年に「ててて見本市」に出展された酒井さん。そこでの好反応がご縁で出店した、インテリアライフスタイル2015(デザイン性に優れた小物・雑貨を中心に、衣食住の商材が集まる国際見本市)で、Timber Potが評価され、Young Designer Awardを受賞されます。

「誰も予想していなかった受賞だと思いますが、自分では『もしかして』という感触がありました。こういう自分でも、34年分の思いが詰まったプロダクトだし。自分の中はヒッピー思想や循環思想がずっと真ん中にあって、バカなりに考えてきたことだけどそこそこ通じるだろうなと(笑)。

副賞として、インテリアライフスタイルの母体であるドイツのフランクフルトで開催されるアンビエンテ(世界最大のBtoBインテリア消費財見本市)に招待していただきました。いろいろありましたが、流れとしては良い流れに乗れたなと。でもビジネスのことが全然わかっていなくて、上代や下代とかもイマイチ理解していなかったので、せっかく売れたけど手元に現金はほとんど残っていなかったんです。今は徐々に修正しているんですけど。」

Timber Potのインパクトがきっかけで、木工家やデザイナーもろくろ舎のことを知り、仕事が入ったり、いろいろな話のきっかけ作りなっているそうです。今でも名刺代わりの商品なのだとか。

 

順調に進んだことなんか無い。ぶつかったら切り替えているだけ。

 

漆器産地である石川県加賀市にある山中漆器から、2016年頃まであったOEMのお椀製造の仕事が徐々に減っていき、その仕事のために新しい機材も入れたけれど切られた格好になったと話す酒井さん。そのときに、仕事を貰うだけという立ち位置にいては危ないんだということがわかったのだとか。

「去年から大真面目に自社商品のお椀・酒器・お盆などを作っていて、一周りして王道のことを、流れ的に今だなと思ったのでスタートさせました。去年までスタッフが1人いたので、何度も話し合いながらリトライしながらやっていましたが、そのスタッフが辞めることが決定して量産ができない現実があったので、一気に体制をセミオーダーの受注会中心のスタイルに切り替えました。それまでの仕事で横の繋がりが結構出来たところだったので、色々なところに話しを持って行って、東京にあるBEAMS JAPANなどでも受注会をすることが決定していきました。でも当然受注会の一本だと厳しいと思っているので、自社製品も引き続き作っています。多様性というか、何本か矢を持っていないと厳しいですよね。」

受注会はBtoCでオーダーを取る流れを作っておられる酒井さん。この受注会には、実は裏テーマがあると話してくださいました。

「受注会では、行く先々で新しいカタチの『オリジナルの椀』を作りましょう、そして販売しましょうという流れを提案しています。それをこれまでのOEMの仕事に挿げ替えていこうと思っているんです。量的にはすごく減りますが、単価が上がるので疲弊しなくなるんです。実際に今いくつか進めていて商品化しているところもあります。受注会自体は2016年のRENEWから始めていて、反応が悪くないというのもわかっていました。このときは『工房の力』や『RENEW=祭り』だからということもあり、他所でやったときにどうなるかはわからないなと不安に思っていましたが、自分の中で戦える武器はこれしか無かったので、思い切って切り替えたんです。」

この大きな決断を、TSUGIの新山さんと奥様に提案された酒井さん。2人とも、危険すぎると反対されたそうです。

「ある程度バカじゃないと踏み込めない部分があると思います。最初から自分のスタートはおかしいので、おかしいことに慣れてきちゃって麻痺しているのかもしれません。これまで、それなりに旅をして経験を積んできて、ドラクエで言うと『銅の剣』くらいは持っているような状態だったけど、急に剣を取られて『こんぼう』しか持っていないような状態で町を出るしかなかったので、周りはこんぼうっすか?! という反応でした。実際、何度か開催した受注会の売上は全部キツかったんです。お店に場所代と交通費出したら全然残らない。これはまずい……と思ってたんですけど、富山県高岡市のギャラリーで開催したときに、2週間で120万円ほど売り上げた。そこのギャラリストが高岡でずっと職人と仕事を続けてきた方で、彼がやることは間違いないと信頼されている方なんです。ちゃんとしたバックボーンのある場所でやったら、爆発することがあるんだというところに夢を感じて自信に繋がりました。売れっ子の作家クラスに売れたし、都会じゃなくて良いんだということもわかりましたね。」

高岡市の次は徳島県の手延べそうめん工場跡地で開催し、今までで最高の1日30万円の売り上げがあったそうです。9,000人ほどしか住んでない町だったからこそ、場所じゃなくて人に付いた人(お客様)に届けることでバズるということが見えてきたのだとか。そういう人たちと組んで丁寧にやっていくことで、上手くいく方程式が見えてきたと酒井さんは話します。

受注会に並行して、OEMも取って来られている酒井さん。他に武器を持っていると、値決めでこちらの声が通るようになり、単価が何倍も違ってくるそうです。

「価格を下げるという話になると職人が苦しむだけなんです。ただ、作業自体は自分がやらなくても良いと思っていて、自分が元請けになって若い木地師に仕事を出してあげられるようにならなきゃいけません。その部分が河和田産地に欠如しているんです。弟子入りして修行している若い人が技術を身に付けて独立したときに、仕事なんてあるわけ無いですし、誰かが渡してあげないといけません。僕は、頑張ってやったけどしんどい目にあって捨てられちゃうみたいな、自分の2号3号を作りたくないんです。」

一生この仕事と付き合うという重荷は背負っていないと話す酒井さん。始めたら自分しかいなかったから責任を持ってやっているけれど、この責任は若い人が現れないと肩の荷が降りない。自分としては今やっていることを止めるために、やっているのかもしれないと、酒井さんは次のステップを見据えておられます。

「自分がやっていて気持ち悪くない社会の中の落とし所を探るというか。自分だけが仕事をどんどん取っていて、会社が大きくなるというところに対して全然興味が無いんです。自分だけ生き残っても何も楽しくないじゃないですか(笑)」

 

若い世代が漆器を知らないのに、今後仕事があるわけがない。業界全体の布教活動が急務。

 

「Timber Potはけっこうコンセプチュアルなんですが、最近コンセプトっていう言葉が大嫌いなんですよ。あるときお椀を作って見せたときに「これってどういうコンセプト?」と言われました。自分の中では『造形』だったので、それを聞いて『むむ??』と。もちろん機能性は必要ですが、かっこいいと思ったから作ったのに、お椀にコンセプトっているのかなと思って。」

最近の日本のプロダクトは、コトの方に引っ張られすぎな気がしていると話す酒井さん。コンセプトのためのコンセプトになってしまわないように意識しながら仕事をしていくうちに、形や造形に魅力を感じはじめているそうです。

「ataWの関坂くんの周りにはオランダのデザイン学校出身者が多んですが、オランダのデザイナーは『アート』と『クラフト』の行き来が自由だなと感じます。一方で日本はその関係性がブツッと切られる風潮があって、自分は天の邪鬼なのでそれは嫌だなと感じているんです。もちろんコンセプトは大事なんですが、結局モノに自信が無いからコトで強化するしかない状況というか。」

職人や作家ではなく、「木地師としての自分」が物を作る上で挑戦していきたい部分はその部分で、アートとクラフトを行き来しながら良いものが作れたら、と考えておられる酒井さん。そんなものづくりの日々の中で、大切にしておられることがあるそうです。

「漆器を使っていない世代の人はみんな漆器の特徴について知らないので。ちゃんと会いに行って伝えるということです。当然ビジネスとして食べていくためでもあるんですけど、これは業界自体が生きていくための布教活動だと思っています。行く先々でちゃんと説明をすると、すごく面白い器だということがわかってもらえるんですね。全員に知ってもらうのは無理ですが、自分が若くて動けるうちに出会えた人に伝えて、今から使ってくれる人が買ってくれたり修理に出してくれれば、将来食べていけるようになるかなと。」

漆器業界に余裕のあった頃は、百貨店スタッフが研修で河和田に来て勉強していたけれど徐々に少なくなっていきました。問屋も代替わりしていくと、職人の仕事場を見たことが無い世代がたくさんいるそうです。どうやって作っているのかを知らない方が販売をすると、消費者に伝わるわけがありません。ハレの日が無くなり、漆器を普段遣いしないようになると、忘れられていくのは当然だと酒井さんは考えておられます。

「自分が生きていくためには業界が無いといけないですよね。職人が残っていたらたくさん仕事が入ってくる可能性があるんです。僕が仕事をするのは、人のためというか自分のためですね。自分のためにみんな生き残ってくれと。綺麗事じゃなくて、僕はそれで良いと思っています。」

 

若くても歳を取っても、失敗をしよう。酒井流人生のバランスシート。

 

「語弊がありますが、人は歳を取るとダサくなっていくと思っているんです。それは良いもの作るということとは別で、生き方とか勢いの話なんですが、若いときのキラキラした謎の自信と勢いには敵いません。歳を取ると編集能力は上がりますが、いろいろ上手くなっちゃってキラキラは出せなくなってくると思うんです。」

お話を聞いていて、攻めてるなあ……と感じていた酒井さんの姿勢ですが、本人としてはそんなに攻めてるつもりはなく、攻めないとやっていけないでしょと思っているだけだといいます。

「漆器業界自体がメタボなお爺ちゃんなわけじゃないですか。若いうちは放っておいても腹も出ないしハゲない。でも歳を取ったら負荷をかけないとダメなんです。代謝はどんどん落ちていくので、事実として攻めないとダメじゃないですかというだけの話です。これは若い子に勝とうというわけではなく、健康でいるために走ろうという感覚ですね。」

「若いときの失敗ってすごく大事だと思っています。想定内のことを想定内通りにやったらそれだけで終わり。若い内に想定外の失敗をたくさんし、躓いて、想定の幅を広げておくんです。そして、歳を取ってくると想定内の仕事をやってしまうので、計画の中にあえて失敗要素をいくつか入れておいて、自分を慌てさせるんです。」

成功し続けると妬まれたりもするけど負け越しはしんどいから、最終的にトータルで勝てば良いと酒井さん。人生全体で損益を調整するという視点は、とても先を見据えておられるように感じました。

「僕がやっていることを、真似されたら真似されたで良いかなと思っています。やれるもんならやってみろと。絶対面倒くさいですから(笑)」

はやく引退してマンガを読んだり麻雀をしたりしたいと笑う酒井さんですが、お話を伺う中で、未来を高い壁に阻まれた際に、何度も乗り越えたり方向転換の決断をされて来られたことがわかりました。

今は個人で工房を切り盛りされていますが、独自の視点で業界の未来を考えて実践されている姿は、産地の新しいリーダー像だと感じました。実際に、以前は60〜70%を占めていた下請けの仕事が、現在では全体の10%以下になっているのだとか。そんな酒井さんの商品に触れてみたい方は、ぜひろくろ舎を訪れるか、各地で開催される受注会に足を運んでみてください。

このインタビューで酒井さんが話している内容が、さらに実感できると思います。

 

【連絡先】

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TEL:0778-42-6523
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MAIL:info@rokurosha.jp

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