【Hacoa-vol:5/5】20年間の経験を、次の世代に伝えていく。
Hacoa VILLAGE構想を掲げる
ーー市橋社長の目指しておられる「ものづくりから感動づくりを」について詳しく教えてください。
これまで木製雑貨ブランド「Hacoa」と共に培ってきたのは、「商品本来の機能に期待以上の感動を付加する」という、職人ならではのものづくりの本質でした。
しかしこれからは、それだけではいけない。モノが溢れる世の中でお客様が求めていることを知り、深いご縁と繫がりを作りたい。商品を通して生まれる暮らしの楽しみだけではなく、誰かと分かち合いたくなる時間や距離を超えて広がる気持ちを共有し発信していきたい、と考えていました。
そのために隅田川のほとりにビルを借りて、ワークショップやセミナーや飲食をやっていこうと。この全体構想を「Hacoa VILLAGE 構想」と名付けました。さらにその根底には、社員に向けて「Hacoaは今後どこへいくのか」というベクトルの共有をするという目的があります。
ーー挑戦する姿勢をプロジェクトで語るんですね。
自分たちみたいな木工所は、「食」の取り入れ方なんて知りません。だから、まずは木(=カカオ)に関係することから始めてみようと。それがDRYADESのスイーツ事業です。チョコは型に流し込めばどんな形にもなります。木型は自分たちで作る完全オリジナル。美味しさで笑顔をつくれるものづくりです。
Hacoaでものづくりの好きな人が出会い、共感して繋がるというのが、Hacoa VILLAGE構想の一つの核です。そこで職人が生まれて、職人から経営者が生まれて。ものづくりのスピリットを残していく事業をやっていこうと。
それを福井から始めても拡がりが限定的になるので、まずは東京のど真ん中でやるんです。ゆくゆくは、そのノウハウを転換して、全国展開しながら福井に戻していきたいと考えています。
ーー現在東京以外ではどのような展開があるのでしょうか。
長野県の軽井沢の南にある人口6,000人の小さな町と提携して、Hacoa VILLAGE構想を進めています。自然が豊かで、観光者も多いのですが、30年後には人口2,000人を切ってしまう。定住者を増やす為にも産業を核とした人口の増加を図らないと、小さい町なので、自治体が持たなくなる。地域活性化の事業をHacoaの考えで進めていこうとしていました。
進めていたところでコロナが流行り、ストップしていますが、落ち着いたら再開できるように仕込みをしているところです。
新型コロナウイルスとの格闘
コロナ前は順調に物事を積み重ねて進んできました。ここまでの状況になるとは誰も予想できません。リーマンショックのときは原因がわかっていたから、経済は立ち直ると確信していたけど、コロナは心の不安との戦い。誰にも先が読めず、解決策がわからない。
ある程度の企業体力は作って来たので、この状況でもなんとか維持できるかなという計算をしていました。緊急事態宣言下では、商業施設に出店している全国のお店は、全て営業休止となりました。KNOCKING ON WOODやDRYADES春日店は路面店でもあるので、営業を続けられましたが、全体的には大きな影響は受けています。
ーー先の見えない状況に、不安になられた社員さんもおられたかと思います。
今社員数は87名。アルバイトなども入れると就労者は170名と大所帯になってきました。昨年は、成長軌道に乗っていた事もあり、会社自体のコロナの影響は8%減くらいで済んでいますが、不安になってメンタルをやられたスタッフが多少出てきました。
そこで昨年の9月、全国の社員に向けて「うちの会社は大丈夫だよ」というメッセージと、このまま何も考えない、前に進む事を止めると退化するから「こういう未来を作るんだ」という内容の1時間のビデオレターを送りました。
コロナに振り回されている状況を客観視していると、Hacoaは組織力が弱いなと感じました。それが社員のメンタルに影響している。ビデオレターを通し、社員を鼓舞したけれども、去る人も出てきた。これまでは自分が過保護し過ぎて、与え過ぎもあって、甘やかしてきた副作用なんだと実感しました。
そのような反省もあり、組織の作り込みをしていくため、給与体制も変えました。年功序列昇給だったところを、等級試験を受けて自分の位置をはっきりさせて、力試しをしてくれと。誰かを頼っていたらダメなんだという姿勢です。
ーーコロナをきっかけに社内の変革が進んだのですね。
社員だけではなく、講演等でも話しますが、特に伝えたかったことは「夢は語った方が良い」ということです。色々な方と仕事をしてきたから言えることですが、福井の人間は芋っ気がすごい。自分の思いとか夢をみんなの前で恥ずかしいからと発言できない。発言すると、アイツは…といじる空気感があるから声が上げられず、前に出れない事も多い。営業が下手で発信力も足りない。
サッカーの本田圭佑選手が、小さいときにプロサッカー選手になると宣言してビッグマウスと言われたけど、やっぱり言うか言わないかで全然違うんです。夢や想いを声にする事で、周りがアドバイスをしてくれたり、人を紹介してくれたり、共感してくれる。協力者が現れるんです。私も東京に行き、夢を語った事で様々な人たちが現れ、協力して戴けたから今の成長に繋がった。
これまで、お客様に伝える為、感動してもらえる為に伝え方は今まですごく勉強してきたし、試行錯誤してきた。伝える事が出来た事で、Hacoaには熱狂的なファンが多いんです。全国のお店を巡ってスタンプラリーのようなことを自主的にしていたり。商品について、スタッフよりも詳しい方もいらっしゃいます。そのようなお客様を、社員が夢を語り、体験する事で共鳴する機会を増やしていけたら嬉しいですね。
人生の引き際を考える
ーー今後、市橋さんはご自身の引き際についてはどのように考えておられますか?
45歳のときに、「55歳できっぱり引退するから」と引退宣言を全社員に言ってから、社員の意識がガンとあがり、色々なオペレーションが作られて、会社組織が充実してきたと思う。自分は何もしなくて良い、何もしない方が良いと思える程です。今年でHacoaブランドを掲げ、20周年なのですが、成人のときですし、周年イベントをやりましょうと社員から提案があり、動いてくれています。私は20年という節目に実感が無く、云われてもそうなのかと思う程度でしたが、20年という節目を盛り上げようとしてくれるスタッフたちは、私よりもHacoaが好きなんだろうと思います(笑)。
よく相談に来る会社の社長さんの中で「おれがやらないといけない、社員に任せられない。」と思っている人は多いが、それは絶対違います。営業は営業に任せた方が実績は出るし、製造は製造に任せた方が良い物が作れる。社長は社長の仕事をしないといけない。
社員からは、「市橋はHacoaの象徴として居るべきだ」と言われるけど、それでもいずれはいなくなるもの。象徴として掲げられているのも気持ち悪いし、次世代を育てるためにも身を引いた方が良いかなと。きっと引退した後も、組織の基盤がしっかりとしているので、2-3年でみんな忘れるから大丈夫です(笑)
ーー20周年の取り組みはどのようなものですか?
これまで、全国のものづくり企業を中心に、コンサルティングをしてほしいと多くの方から求められてきました。Hacoaのように成長したい、Hacoaのようにお店を持ちたい、商品開発や社員育成を教えて欲しい等の要望も多くありました。そのご要望にお応えする「ハコア塾」を開講することにしました。このコロナ禍において、苦しんでいる人や夢を失う人も多いはず。夢を失わずに前を向いて歩く方法を私の経験に基づき、お教えする事で沢山の人が幸せになれればと思っています。私の経験や知識、人脈をハコア塾に参加する経営に携る方々のお役立てすることで「強い会社づくり」ができるようになり、自信を持つためのスクールです。
東京では、福井から出てきて、様々な方々と出逢い、教えを受けてきた中で、色々な経験を積んでいる。これがビジネスとして成り立たないかとスタッフが言い出したのがきかっけです。「ただのものづくりの会社」から成長したHacoaの事業を地域経済の活性化を担い、貢献できるなら良いかなと。SSIDで自分が学んだように、次の世代につないでいきたい。専属の人材を置き、開講に向けて準備中です。
ーーどのような内容なのでしょうか。
頑張る会社、未来を創りたい人に、知りたい事、経営に大事な事や足りない事を見つけ、伝え、気付いて貰えるような内容にしていきたいと考えています。会計の仕方や資金繰りは勿論の事、ビジネスモデルの作り方からマネジメントの手法、商品開発におけるデザインの考え方などももちろん教えますが、個人的な経験もたくさん伝えていきたい。
自分のこれまでの人生はスポンジに水を含ませるようなもので、何でも吸収してきた。そしてそれをギュッと絞って必要なものだけを残してきました。誘われたら受け入れる。専務には「社長はなんでも受け入れてしまう」と怒られることも多いです (笑)
それでも、気になる事や利に適う事は、何でもやってみて、考え、気づくことが必要かなと思います。「社長をやってきて失敗したことは?」と聞かれたときに、失敗したとこは無いな…と最近は思うのです。失敗とは「負け(敗れて)て、失う」と書きます。でも自分は失っていませんし、負けたと自覚した事も無いように思います。右往左往したこともありますが、しっかりと改善の糸口を見付け、解決、結果を出す為に前に向かって進んでいます。
そんなことも伝えながら、仲間を増やして共に明るい未来図を描いていきたいですね。
※全5回終了。